第37回:オートマチックトランスミッション
シンプルに、そしてスムーズに
2018.11.22
自動車ヒストリー
運転操作をシンプルなものとし、自動車を幅広いユーザーにとって身近な存在にしたオートマチックトランスミッションの普及。より操作を簡単に、よりスムーズに、そしてより高効率にと進化を遂げてきた、変速機の歴史を振り返る。
内燃機関の弱点をカバーする技術
「日産リーフ」などの電気自動車(EV)や「トヨタ・ミライ」などの燃料電池車(FCV)には、トランスミッションが搭載されていない。ハイブリッド車(HV)でも「トヨタ・プリウス」にはシステムに変速機構が組み込まれているが、「日産ノートe-POWER」にはない。いずれも電気モーターを駆動力としていて、変速の必要がないからだ。モーターは回転を始めた瞬間から高いトルクが得られ、スムーズに発進することができる。停車時にも、内燃機関のようなアイドリングは不要だ。機構はシンプルで、モーターの回転を直接車輪に伝達すればいい。
電気は非常に扱いやすいエネルギーなので、自動車が誕生した当時はモーターが動力源として有力な選択肢と考えられていた。次第にガソリンエンジンに取って代わられたのは、エネルギー密度の点で電池が圧倒的に不利だったからだ。長距離を走るには重い電池を大量に積まなければならない。内燃機関なら化石燃料をタンクに入れておけば遠くまで行けるし、液体だから補給も簡単なのだ。
内燃機関にも弱点がある。低回転域では大きなトルクを得ることができず、回転数を一定以上に保たないと止まってしまうのだ。「回転」と「停止」という矛盾した現象を同時に成立させ、うまくマネジメントするシステムが必要となる。トランスミッションの存在があるからこそ、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンは電気モーターに対して優位性を保つことができた。
かつては、人がすべての操作を行うマニュアルトランスミッションが主流だった。自動車が停止している状態では、クラッチを切ることで駆動輪とエンジンを完全に切り離し、エンジンの回転を保つ。発進時にはあらかじめギアをかませておいてからクラッチをつなぎ、エンジンの最低回転数をクリアする。さらに速度を増すには、クラッチを切って高いギアを選択し、もう一度クラッチをつないでトルクを伝達すればいい。
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セミATを採用した「T型フォード」
マニュアルトランスミッションは発進を助けるとともに変速も担うよくできたシステムだったが、問題は、スムーズにこれらの操作をこなすには、ある程度の熟練が必要であることだ。誰もが自動車を運転できるようにするために、トランスミッションの自動化が早い時期から求められていた。手動式のマニュアルトランスミッション(MT)に対し、自動式はオートマチックトランスミッション(AT)と呼ばれる。運転方法をシンプルにするとともに、スムーズな発進と走行を実現する機構である。
ATは早くも1904年に試作されている。アメリカのトーマス・J・スターテバントが考案したもので、遠心クラッチに前進2段、後進1段の歯車式変速機を組み合わせていた。ウェイトが遠心力によって押し出される動きを利用し、クラッチの断続とギアの組み替えを行う仕組みだった。1905年にはドイツのヘルマン・フェッティンガーがトルクコンバーターの原型となる装置を発明している。船舶用に開発されたもので、減速機構でトルクを高める効果を備えていた。
1908年に製造が始まった「T型フォード」には、セミオートマチック式ともいうべきトランスミッションが採用されていた。ハンドブレーキとクラッチが連動しており、チェンジペダルを踏みながらブレーキを緩めることで発進する。チェンジペダルを離すとハイギアに切り替わる2段式だった。完全に自動化されてはいないものの、プラネタリーギアや湿式クラッチなどを使うところは現代のATにも通じる技術である。
1920年代に入ると本格的にATを実用化する試みが登場する。イギリスのシンクレアは、フルードカップリングを利用したシステムを搭載したバスをロンドンで運行させた。トルクコンバーターの研究も続けられており、1930年代にはドイツで量産化が始まる。乗用車での実用化は、アメリカが先んじた。貴族や上流階級の趣味として始まったヨーロッパと違い、アメリカでは自動車は何よりも実用的な交通手段だと受け止められていた。運転操作の簡単さ、快適さが重視されたのは当然だろう。左足でクラッチペダルを踏む必要のない、ATのイージードライブが支持されたのである。
戦後アメリカで急速に進んだ進化と普及
1939年、ゼネラルモーターズ(GM)はフルードカップリングにプラネタリーギアを組み合わせた4段ATの「ハイドラマチック」を、オールズモビルにオプション設定した。トルク増幅作用はなかったが、現在のATに通じる機構を備えたトランスミッションである。GM、フォード、クライスラーのビッグスリーに加え、専業メーカーのボルグワーナーがAT開発を競い合った。戦後になると、アメリカではATが一気に普及していく。1945年にわずか5%だったAT装着率は、1965年には90%を超えている。
ハイドラマチックを改良したATが、1948年モデルのビュイックに搭載された「ダイナフロー」である。フルードカップリングの代わりにトルクコンバーターを用い、主にトルク増副作用で変速を行う仕組みだった。さらに進んだ機構を持つのが、「ターボハイドラマチック」である。トルクコンバーターとプラネタリーギアを組み合わせるのは同じだが、設計思想が異なっていた。トルク増幅作用は発進機能に特化し、変速はギアの組み替えによって行うという考え方である。
フルードカップリングとトルクコンバーターは、どちらも流体(フルード)を用いて回転運動を伝える機構だ。エンジンの回転によってポンプインペラーが回り、ケース内に満たされたフルードに流れを作り出す。反対側に備えられたタービンランナーはフルードの流れを受けて回転し、駆動軸にエンジントルクを伝える。MTではクラッチ板で回転の伝達を断続したが、フルードカップリングは流体によって入力側と出力側をつなぐ仕組みなのだ。
トルクコンバーターは、これにトルク増副作用を加えた機構だ。ポンプインペラーとタービンランナーの間にステーターと呼ばれる固定翼を置き、フルードの流れをコントロールすることでトルクを増大させる。無段変速の機能も持っているが、流体は伝達効率が劣るため、変速については主にギアが担うのが一般的となった。
1950年代にビッグスリーとボルグワーナーが開発を競い合う中で、トルクコンバーターとプラネタリーギアを組み合わせた3段ATが標準となっていった。
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日欧で異なる様相を呈したAT化の流れ
ヨーロッパでも、1960年代になるとATへの関心が徐々に高まっていく。すでにATの基本特許は押さえられていたが、1961年にダイムラー・ベンツが自社製のATを開発した。フルードカップリングを用いたもので、トルクコンバーターの採用は1972年になってからである。
トランスミッション専業メーカーのZFは、BMW、プジョーと共同でATを開発し、1961年に初めての製品を送り出した。1967年には、フォルクスワーゲンが自社製ATを初採用する。ただ、エンジン出力に余裕のない小型車が多かったヨーロッパでは、ATはぜいたく品というイメージが強かった。長距離をノンストップで走ることが多い環境では、ギアシフトの煩わしさを感じることもない。変速を自分の手で行いたいという気風が根強いこともあって、ATの普及は遅々として進まなかった。
日本ではアメリカ車を手本としていたこともあり、早くからATに目が向けられていた。トヨタは1959年に商用車の「マスターライン」に2段セミATの「トヨグライド」を装備し、翌年には「クラウン」にも採用した。油圧回路を手動で切り替えるもので、完全自動化されたのは1963年である。
アメリカの特許が開発の障害となったのはヨーロッパと同じで、ボルグワーナーの製品を輸入して取り付けるメーカーもあった。独自路線を追求したのはホンダである。主流となっていたプラネタリーギアを使わず、並行2軸常時かみ合い式の変速機をトルクコンバーターと組み合わせる方法を採用した。1968年、軽自動車の「N360」に「ホンダマチック」と名づけた3段ATを装備して発売している。
ロックアップと電子制御で燃費が向上
日本では1970年代から1980年代にかけて急速にAT化が進んだ。現在ではMTは一部のモデルにしか設定されていない。運転免許もAT限定を選ぶ人が増えている。免許の種別では、2ペダルであればATとみなされるので、CVTや自動MT、デュアルクラッチ式トランスミッションなどもAT限定免許で運転できる。
また、過去にはATは燃費の点でMTには及ばないといわれていた。トルクコンバーターは流体を使うために、どうしても伝達ロスが生じてしまうからだ。この欠点を補うために導入されたのがロックアップ機構で、走行中は入力軸と出力軸を直結してロスを防ぐ。トルクコンバーターの代わりに湿式多板クラッチを用いるタイプも登場した。以前はATをひとくくりにして「トルコンAT」と呼ぶこともあったが、最近では主に「ステップAT」というようになった。トルコン=トルクコンバーターを使わないものが出てきたからである。逆に、CVTなどにトルコンが使われる例も増えている。
1980年代からは制御の電子化も進み、走行状態を考慮してロックアップの作動域を拡大させたり、変速プログラムを切り替えたりすることで、燃費の改善と応答性の向上、変速ショックの低減を同時に実現した。マニュアルモードを備えるタイプも増え、ATでもスポーティーな走行が可能になっている。
21世紀に入ってからのトレンドは多段化である。今では10段ATまで登場し、11段の開発も進められている。ATの進化は、ドライバーがトランスミッションの存在をほとんど意識せずにいられるレベルに達している。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛/写真=ゼネラルモーターズ、ダイムラー、トヨタ自動車、日産自動車、フォード、フォルクスワーゲン、ポルシェ、マツダ)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。