第75回:1000万台グループへの挑戦
生き残りをかけた自動車メーカーの合従連衡
2020.05.21
自動車ヒストリー
1998年のダイムラークライスラー誕生以降も、今日まで間断なく続けられる自動車メーカーの再編劇。かつての“400万台クラブ”から“1000万台クラブ”へ。海を越えた自動車グループの誕生と解体、そしてさらなる巨大グループの出現へと続く合従連衡の歴史を振り返る。
ジャック・ナッサーの予言
1999年、当時フォードの社長だったジャック・ナッサーは、東京モーターショーを前にして自動車業界の展望を語った。
「21世紀に生き残れるメーカーは、フォード、GM、ダイムラークライスラー、トヨタ、それとフォルクスワーゲンだろう。ルノー・日産連合は不透明でなんとも言えない」
当時、世界中で自動車メーカーの合従連衡が行われていた。経済のグローバル化が進み、企業規模を大きくしなければ競争に勝てないと考えられていたのである。
その頃よく話題になったのが、“400万台クラブ”という言葉である。生き残れるかどうかの分かれ目は、年間400万台の生産台数を確保できるかどうかだというのだ。大衆車から高級車までフルラインナップをそろえ、増大する研究開発費を負担するためには、このくらいの規模が必要だと信じられていた。
各メーカーが400万台クラブに入ることを目指したわけだが、この数字に根拠があるわけではない。ジャック・ナッサーも、先の発言に続いてこう言っている。
「あと残るとすればBMWとホンダだろう。なにしろこの2社には強いブランド力がある」
自動車メーカーの力は規模だけで決まるのではないと、ナッサーも考えていた。
自動車会社が提携したり合併したりするのは珍しいことではなく、古くから間断なく行われていた。ガソリン自動車の誕生に関わったベンツとダイムラーは、1926年に合併してダイムラー・ベンツとなった。イギリスではモーリス、オースチン、ライレーなどが合併してBMCとなり、さらにローバーやレイランドなどを加えてBLMCが生まれている(参照)。アメリカのゼネラルモーターズ(GM)は、ビュイックを中心にオールズモビル、キャデラック、オークランドなどが集合したメーカーである。
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ダイムラークライスラーの衝撃
しかし、1999年に自動車業界を覆っていた空気は、それまでとは異質なものだった。前年の1998年、ダイムラー・ベンツとクライスラーが合併してダイムラークライスラーが誕生したことで、誰もが状況の深刻さを知ることになったのである。
ダイムラー・ベンツはメルセデス・ベンツという世界に冠たる高級車ブランドを擁するドイツの雄であり、クライスラーは自動車大国アメリカのビッグスリーの一角だ。この2社が合併しなければならないなら、ほかのメーカーも何らかの策を講じる必要があると考えるのは自然だった。
両社が合併に至った経緯を振り返ると、まずクライスラーは、1970年代に日本車のシェア拡大に対抗できず、経営危機に陥っていた。フォードから迎えたリー・アイアコッカのもとで構造改革を進めて苦境を脱したが、そのアイアコッカは1992年に引退すると、今度はクライスラーの脅威として戻ってくる。投資家のカーク・カーコリアンと組み、買収を企てたのだ。この試みは失敗に終わるが、会社の威信は大いに傷つけられた。その後もクライスラーは大幅な利益の減少に苦しみ、ストライキや製造物責任訴訟を抱えて身動きがとれなくなっていった。
一方、ダイムラー・ベンツは高級車の分野で揺るぎない地位を確立していたものの、生産台数を拡大して収益を向上させるためには、大衆車部門を充実させる必要があった。双方が互いを必要としていることが次第に了解されるようになり、世紀の大型合併が実現したわけだ。形としては対等だったが、ダイムラー・ベンツからはクライスラーに360億ドルの資金が提供されていて、実質的には買収だったともいえる。
市場は大西洋をまたにかけた歴史的な合同を歓迎し、株価は上昇。翌年のデトロイトショーではレトロモダンなスタイルを持つ「PTクルーザー」が脚光を浴び、発表されたコンセプトカーも好評だった。しかし、半年後に収益報告書が提出されると、一気に熱が冷めた。ジープとメルセデス・ベンツは売り上げを伸ばしたものの、利益は一向に増えていなかったのだ。ヨーロッパとアメリカの文化の違いはさまざまな摩擦を引き起こし、不協和音が高まっていった。
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日本メーカーも再編の渦中に
ダイムラークライスラーが誕生した1998年には、BMWとフォルクスワーゲンもロールス・ロイスの買収をめぐって激しい争いを繰り広げている。どちらも世界最高級のブランドをわがものとするため、全力で争奪戦を演じたのだ。買収金額の上乗せや法的な争いが展開され、1999年にBMWがロールス・ロイス、フォルクスワーゲンがベントレーを手に入れるという痛み分けの結末を迎えた。この買収劇は規模の点では大きなものではなかったが、超高級ブランドをめぐる派手な応酬は業界再編の機運をさらに高めた。
また1999年には、フォードもボルボを傘下に収め、もとから所有していたリンカーン、すでに手に入れていたアストンマーティンとジャガーの4ブランドで「プレミア・オートモーティブ・グループ」(PAG)を発足させた。さらに2000年には、BMWからランドローバーを譲り受け、PAGに加えている。
日本もこの動きと無縁ではいられなかった。マツダは、1979年から筆頭株主だったフォードが、1996年に出資比率を33.4%に引き上げたことで、名実ともに同社の陣営に加わっている。
それ以上に日本メーカーの焦点となっていたのが、日産の動向である。当時、日産は2兆円もの有利子負債を抱えて窮地に陥っており、国内外で提携先を探っていたのだ。ダイムラークライスラーも候補のひとつだったが、彼らが選んだのはフランスのルノーだった。1999年3月、日産はルノーとの資本提携を発表する。CEOとして送り込まれたのが、ルノーの副社長だったカルロス・ゴーンである。「日産リバイバルプラン」を発表した彼は徹底的なリストラを推進し、構造改革を成功させて日産を立ち直らせた。製品についても、ルノーと日産でプラットフォームを共用。部品の共通化を推し進めて効率化を追求していった。
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わずか10年で激変した業界地図
大規模統合の嵐の後も、さらに激変は続いた。
最初に蹉跌(さてつ)をきたしたのはダイムラークライスラーである。両社の合同が新しい動きを生み出したことは事実で、2003年に発売された「クロスファイア」は「メルセデス・ベンツSLK」をベースに開発されたクーペ/ロードスターだった。2004年には「メルセデス・ベンツEクラス」のサスペンションやトランスミッションを流用した「クライスラー300」も誕生している。協業により、新たに魅力的な製品がいくつもつくり出された。
しかし、これらの製品が状況の挽回につながることはなかった。ダイムラークライスラーは業績を好転させることに失敗。2007年にクライスラー部門は55億ユーロでアメリカの投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントに売却され、9年間にわたる協業に終止符が打たれた。その後、クライスラーはリーマンショックによる不況のあおりを受け、2009年にGMとともに破産法の適用を受ける。資金不足の中でフィアットが持ち株の20%を取得し、2014年1月にさらに株を買い増してクライスラーの完全子会社化を発表。同年10月には持ち株会社のフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)が設立された。
フォードもラインナップの縮小を図り、PAGを解体。ジャガーとランドローバーはインドのタタグループに、ボルボは中国の浙江吉利控股集団に売却された。マツダも2010年にフォードの関連会社ではなくなっている。GMも富士重工業(スバル)、いすゞ、スズキと結んでいた提携をすべて解消した。10年と少しの間に、業界地図は大きく書き換えられたのだ。
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400万台から1000万台へ
さらに再編は続く。2016年に三菱自動車が燃費偽装の発覚で経営危機に陥ると、日産が同社の発行済み株式の34%を取得して筆頭株主となる。これによって、ルノー・日産のアライアンスに三菱も加わった3社連合が誕生し、2017年の上半期には世界販売台数首位の座を獲得した。
2019年春には、今度はFCAがルノーに経営統合を打診。しかし日産と三菱が乗り気でなかったことから、この提案は撤回された。FCAが次に候補としたのが、プジョーとシトロエンを擁するグループPSAだった。両社は早くも、2019年秋に経営統合に向けた交渉開始に合意。PSAは2017年にオペルとボクスホールを買収しており、ヨーロッパの広域にまたがるグループが誕生する運びとなった。
400万台クラブという言葉は意味を失い、新たに1000万台という数字が目標値とされるようになった。トヨタとフォルクスワーゲンに加え、ルノー・日産・三菱のアライアンスや、PSAとFCAの統合グループも、このラインを射程に収めている。しかし、2020年に入ると新型コロナウイルスの感染拡大によって世界的に自動車販売が急減。生産もストップする事態となり、業界全体にリーマンショックを上回る衝撃がもたらされた。資金不足による経営危機が現実味を帯びており、それが新たな業界再編の引き金となるかもしれない。
いたずらに規模を追い求めて足をすくわれることもあるが、これからの自動車メーカーは、ある程度のスケールがなければ生き残るのは難しい。1990年代に250万台規模だったホンダも、再編の動きからは距離をおきつつ、今日ではグローバル販売台数が500万台を上回るほどに規模を拡大している。コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化を意味する“CASE”がキーワードとなり、自動車は100年に一度の変革期を迎えていると言われる。単なる数字合わせではなく、将来の自動車像を見据えたビジョンと戦略が問われているのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。