第78回:サスペンションの進化と発展
速さと快適さの両立を求めて
2020.07.02
自動車ヒストリー
自動車の運動性能と乗り心地を支える“縁の下の力持ち”であるサスペンション。ボディーとタイヤの間をつなぎ、車両を支持するこの機構はどのような発展を遂げてきたのか? 自動車の誕生以前から進化を続けてきた、懸架装置の歴史を振り返る。
馬車から受け継がれた自動車の懸架装置
1926年にダイムラーとベンツが合併し、世界最古の自動車メーカー2社が合同するという強力な体制が発足した。技術部長はフェルディナント・ポルシェ博士で、次々に先進的なモデルをつくり出していく。「SS」や「SSK」はパワフルなエンジンと低く構えたスポーティーなシャシーを持ち、ヨーロッパ各地のレースで輝かしい成績を残した。
それに比べると、ポルシェ博士が去った後の1931年に発表された「メルセデス・ベンツ170」は、地味な印象かもしれない。直列6気筒のサイドバルブエンジンは1692ccという控えめなもので、出力は32馬力だった。ごく生真面目なサルーンであり、デザイン的にも斬新さや華麗さを認めることは困難だ。それでも、メルセデス・ベンツ170は、自動車史に名を残すモデルとなった。量産車として、世界で初めて四輪独立懸架を採用したからである。
自動車は、馬車に代わるものとして構想された。ゴットリープ・ダイムラーが最初につくった四輪自動車は、シュトゥットガルトのヴィンプフ・ウント・ゾーン社に発注した馬車を改造したもので、後席の床に穴を開けてエンジンを据え付けていた。動力は馬から内燃機関に代えられたが、その他の部分は変更されることなく使われていたのだ。4つの車輪が地面をとらえて走行するという方式は同じであり、前輪に原始的な操舵(そうだ)装置が取り付けられたにすぎない。
馬車の歴史は古く、紀元前数千年の古代遺跡にもその存在の痕跡が認められる。人や荷物を運搬するのに有用だったが、人々を悩ませたのは乗り心地だった。平滑な路面ならば車輪を使うとスムーズに移動できるが、悪路ではそうはいかない。人が脚の関節を使って衝撃を吸収しながら動くのに対し、車輪は路面の障害を踏み越えた時の衝撃をそのまま伝えて乗員を苦しめるのだ。長時間振動にさらされていると、座っているだけでも疲労してしまう。
ようやく改良が施されたのは、近代になってからである。鎖で座席をつり下げる形の馬車が登場し、さらにバネで車体を支える方式が取り入れられた。これがそのまま自動車に採用されたのは自然な成り行きだろう。ダイムラーの四輪車も、板バネによって車軸が支えられているのがわかる。
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あえて中級車種に先進技術を採用
左右の車輪をつなぐ棒である車軸を用いたサスペンション形式を、車軸懸架(リジッドアクスル・サスペンション)と呼ぶ。馬車から受け継がれた長い歴史を持つ方式で、シンプルな構造を持ち堅牢(けんろう)性が高い。かつては板バネを何枚か重ねて両端をボディーにつなぎ、弓なりとなった板バネの中央に車軸を固定するのが一般的な構造だった。バネ自体が車軸の位置決めも行うので、簡素な構成で工作が容易になる。コスト的にも有利なのは当然だ。性能面でも、荷重変化によってタイヤの向きや角度が変わることがないのは大きなメリットだった。
ただし、いくつもの課題が残されていた。たとえ片方であっても、タイヤに入力があるとそれが車軸全体に伝わり、大きな振動を引き起こす。ドライブシャフトとアクスルハウジングが一体となっていて、バネ下重量がどうしても重くなってしまう。また、どちらかのタイヤが路面の高い部分に乗ると、車軸全体が傾き、左右両輪が斜めに接地することになる。乗り心地をよくすることや、高速域での路面追従性を高めることが難しいのだ。
そこで登場するのが独立懸架(インディペンデント・サスペンション)だ。左右の車輪が個々にシャシーに取り付けられるので、片方のタイヤへの入力がもう一方のタイヤに伝わらない。バネ下重量を軽くすることができ、乗り心地が改善する。サスペンション設計の自由度が高まり、操縦性を改善しやすい。このようにメリットは多いが、採用するにはいくつもの障害を克服しなければならなかった。構造が複雑になるだけに設計は難しく、製作コストも高い。メルセデス・ベンツの高級車でさえ、かつては旧式な車軸懸架を採用していたのである。
レースの世界でも独立懸架が活躍
例外といえるのは、1922年にベンツから発表された「トロップフェンヴァーゲン」だろう。2リッターDOHCエンジンをミドに搭載し、四輪独立懸架を採用していた。ただ、これは純然たるレース用マシンであり、量産車と一緒にして考えることはできない。市販モデルでは、このころようやく前輪のみの独立懸架が一般化し始めていたという状況だった。
だから、中級車種の170に四輪独立懸架を取り入れるというメルセデス・ベンツの施策は、驚きをもって迎えられた。しかし、それは時代の要請だったともいえる。1929年に起きた世界恐慌の影響で、高級車の売れ行きは激減していた。一方で中産階級が増加し、自動車を購入する層の裾野は広がっていたのである。近い将来に主力となる小型乗用車の乗り心地と操縦性を向上させるために先進技術を取り入れたのは、理にかなった戦略だった。
170はラダーフレームのフロント上下にリーフスプリングを配し、回転式ダンパーから伸びるロッドで車輪の位置決めを行っている。後輪に採用されたのはスイングアクスルだ。デファレンシャルギアボックスはフレームに固定されており、左右のアクスルハウジングの前後に2つずつコイルスプリングを配している。この形式は他メーカーにも影響を与え、多くのフォロワーが現れた。
1934年、メルセデス・ベンツは画期的なレーシングマシン「W25」を生み出した。750kg以下と定められたレギュレーションのなかで徹底的な軽量化を行い、排気量3.36リッター、最高出力354馬力のエンジンを搭載することができたのだ。ライバルはせいぜい3リッター、250馬力ほどのエンジンしか使えないのに対し、これは大きなアドバンテージとなる。
安定した走行を支えたのは、やはり四輪独立懸架のサスペンションだった。フロントはダブルウイッシュボーンで、リアは横置きリーフスプリングのスイングアクスル。“シルバーアロー”と呼ばれたこのマシンは圧倒的な速さを誇り、ヨーロッパのレースを席巻した。
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生き残ったリーフリジッド式
乗用車の世界では、四輪独立懸架が一気に広まったわけではない。前輪は独立懸架でもリアはリジッドという組み合わせが、長い間主流だった。コスト面の理由もあるが、道路の状況もリジッドに有利に働いた。戦後の日本においても、タクシー運転手の間で信頼性の高いリジッドが評価される時代が続いたのである。
次第に交通環境が整備され、状況が変わる。1960年ごろから流行したのが、前ストラット、後ろセミトレーリングアームの組み合わせである。ストラットはダンパーをサスペンションアームの一部として使う合理的な方式で、自由度が高いわりにコストはかからない。セミトレーリングアームはスイングアクスルとトレーリングアームを折衷したような方式で、剛性と操縦安定性に優れていた。
その後、エンジンの出力が高まってタイヤの大径化が進むと、これらの方式では次第に対応しきれなくなってきた。1982年にメルセデス・ベンツがマルチリンク式サスペンションを初めて採用し、それ以降はハイパワーな高級車ではこの方式が用いられることが多くなっている。
またジオメトリー以外の点でもサスペンションは進化を続けており、スプリングに金属バネを使わないエアサスペンションも登場している。バネレートやダンパーの減衰力を電子制御で変える機構も多くのモデルで採用されていて、路面に合わせて伸縮性を変えることも可能になった。
一方、サスペンション形式に話を戻すと、古典的なリジッドアクスル式も依然として生き残っている。大型の貨物車やバスでは構造の簡単さと耐久性が優先されるのだ。また、この形式は一部の四輪駆動車でも現役だ。ストロークを長くとれることで悪路に強く、大きな岩が転がる道でもロードホールディングを保っていられる。第2次大戦でジープの活躍を支えたのも、リーフリジッド式のサスペンションだった。高級SUVとなった「グランドチェロキー」は四輪独立懸架を採用しているが、スパルタンな「ラングラー」は現在でもリジッドアクスルを使い続けている。
(文=webCG/イラスト=日野浦剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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