第91回:自動車競走時代の熱狂
多摩川スピードウェイが育てたレースの夢
2021.01.06
自動車ヒストリー
かつて多摩川の河川敷に存在した、日本初・アジア初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」。この施設はどのような経緯で誕生し、そこではどんなレースが行われていたのか? 日本の自動車史に名を残す偉人たちが集った、幻のサーキットの歴史を振り返る。
日本初の自動車レースは大赤字
日本初の本格的な自動車レースは、1963年の第1回日本グランプリとされている。前年にできたばかりの鈴鹿サーキットで開催され、20万人以上の観客を集めた。サーキット開設の原動力となったのは、本田宗一郎の強い思いである。彼は「俺はレースをやるところがほしいんだ。クルマはレースをやらなくてはよくならない」と話し、安全に高速走行ができるサーキットをつくることがメーカーの義務だと考えていた。
本田は若い頃からサーキットの重要性を知っていた。アート商会で働いていた1923年からレーシングマシンの製作に携わり、翌年には「カーチス号」のライディングメカニックとして優勝に貢献している。当時は、日本でようやく自動車レースが行われるようになった時期だった。1907年にはイギリスのブルックランズGPレースでフィアットに乗る大倉喜七郎が2位に入賞する快挙を成し遂げているが、日本国内はまだレース文化が浸透するには至っていなかったのだ。
自動車を用いた日本初のイベントは、1911年に目黒競馬場で行われた飛行機と自動車の競争だとされている。自動車同士のレースは1914年が始まりで、同じく目黒競馬場で4台のアメリカ車を走らせた。アメリカで人気を集めていた興行をそのまま日本に持ち込んだのだが、客は集まらず大赤字になる。
状況を変えたのは、アメリカから帰国した藤本軍次である。彼は幼い頃に渡米し、成人してからはレース興行でアメリカ中を巡業していた。対日感情が悪化すると、1922年に1台の「ハドソン」を伴って帰国する。日本でもレースを行いたいと考えていた彼は、報知新聞社に自動車の企画を持ち込んだ。最初に実現したのは、「オートモ号」と急行列車が東京−下関間を走るイベントである。画期的な試みだったが、アメリカと違って日本の道が整備されていないのは藤本の誤算だった。狭い道で大八車を抜くのにも手間取り、急行列車には大敗を喫する。ただ普通列車には勝利したこともあり、報知新聞社は自動車レース開催を決めた。
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