第682回:クルマのデザインやトレンドに大きな影響を及ぼしたコンセプトカー5選
2022.04.11 エディターから一言![]() |
1938年にゼネラルモーターズが「ビュイックY-Job」を送り出して以来、全世界の自動車メーカーが自社の方向性を世間に提示するために、多種多様なコンセプトカーを発表してきた。今回は、後の自動車史に大きな影響を与えた傑作コンセプトカーを5台紹介しよう。
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シボレー・スティングレイ レーサー(1959年/アメリカ)
米ゼネラルモーターズ(GM)が1959年に発表した「XP-87」のコードネームでも知られるコンセプトカー「スティングレイ レーサー」。そのデザインは、1963年に登場する「C2」こと2代目「コルベット」を皮切りに、現在の「C8」まで継承される歴代コルベット、ひいてはアメリカンスポーツの基本形を提示した意欲作である。
先鋭的なボディーデザインは日系人デザイナー、ラリー・シノダ氏が手がけたとする文献も多かったが、近年では名匠ピート・ブロック氏の主導という説が一般化している。
1936年生まれの彼は、まだデザインスクール在籍中の1957年からGMのデザインチームの一員となった。この年にクレイモデルが製作された「Q-コルベット」から参画したものの、1959年にはGMを離れ、かのキャロル・シェルビー氏が率いるシェルビー・アメリカンに1961年から加入。ここでピート・ブロック氏は、伝説のマシン「シェルビー・コブラ デイトナ クーペ」をデザインした。
また1965年には、自身のレーシングチーム、ブロック・レーシング・エンタープライズ(BRE)を設立した。BREでは伝説的な「日野サムライ」や「トヨタJP6」を開発・製作したのち、「ダットサン240Z」や「ダットサン510(ブルーバード)」を擁して、北米SCCA選手権で年間タイトルも獲得。日本の自動車メーカーと深い関わりがあったことでも知られている。
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ジャガーE2A(1960年/イギリス)
今から約60年前の1961年に、センセーショナルなデビューを果たしたスポーツカーの歴史的傑作「ジャガーEタイプ」。その開発段階で試作されたのは、コンセプトカーとしての意味合いを含むレーシングスポーツカー、「E1A」および「E2A」であった。
両モデルはルマン24時間レースで一時代を築いたジャガーのレーシングモデル「Dタイプ」の後継車として開発され、Dタイプで培った成果に加えて新たな後輪独立懸架サスペンションや、より効率的なセミモノコック式ボディーなども採用されていた。しかし、当時のFIAスポーツカー選手権が3000cc以下のレーシングスポーツに選手権タイトルをかけるとしたため、もともと3800ccだったジャガーのアドバンテージは失われてしまう。
1960年、ルマンでE2Aがリタイアに終わったのを最後に、当時のジャガーカーズは市販スポーツカーへの転用プロジェクトを本格化。その結果として1961年に正式発売されたEタイプは大ヒットを博し、スポーツカー史に残る傑作となった。もちろん「トヨタ2000GT」をはじめとする、後世のGTカーに絶大な影響を及ぼしたことも忘れてはならない。
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アウトビアンキA112ランナバウト(1969年/イタリア)
「アウトビアンキ・ベルトーネ ランナバウト」とも呼ばれるこのモデルは、その別名が示すように、かつてイタリアを代表するカロッツェリアのひとつであったベルトーネが1969年にショーデビューさせたコンセプトカー。
この小さなコンセプトカーの画期的なポイントは、鬼才マルチェロ・ガンディーニ氏の手による、のちの「ランチア・ストラトスHF」に引用されたスタイリングもさることながら、「アウトビアンキA112」の横置きFFパワートレインをリアミドに搭載する、つまり市販FF車のパワートレインをミドシップに転用してライトウェイトスポーツカーをつくるという方法論にこそあったといえるだろう。
この手法は、1972年に同じベルトーネの手になる「フィアットX1/9」として実用化。さらにアメリカの「ポンティアック・フィエロ」や日本の「トヨタMR2」、あるいは英国の「MGF」など、同じコンセプトを活用したフォロワーも続々と誕生することになった。
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メルセデス・ベンツSLKコンセプト(1994年/ドイツ)
1994年のトリノモーターショーで初公開されたメルセデス・ベンツの「SLKコンセプト」や同年のパリモーターショーでデビューした「SLK IIコンセプト」は、21世紀初頭から一時代を築いた“クーペカブリオレ”の開祖となった。
電動ないし油圧で自動開閉するハードトップは、第2次大戦前の「プジョー401エクリプス」や1950年代の「フォード・スカイライナー」といった先達(せんだつ)はあったものの、折りたたみ式とすることでトップを小さく収納可能とし、しかも現代のプロダクトとして申し分のない信頼性を担保した「バリオルーフ」は、このコンセプトカーの生産モデルとして1996年に正式デビューしたR170型「SLKクラス」で、初めて実用化に至った。
クーペカブリオレは「プジョー206CC」を皮切りに、小型・中型のオープンモデルの常道となったほか、「フェラーリ・カリフォルニア」などの超高級スポーツカーでも採用された。メルセデス自身も、R230型やR231型では伝統の「SL」をバリオルーフ化している。
2015年、SLKクラスは「SLCクラス」へと名を変えたものの、双方合わせても3世代目にしてフェードアウト。また、他メーカーのオープンモデルでも近年では再びソフトトップへの回帰傾向が強まり、電動ハードトップは一部のスーパーカーにのみ残されることになった。
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フィアット・トレピウーノ(2004年/イタリア)
フォルクスワーゲンの「ニュービートル」(1998年発売)やBMWが手がけた「MINI」(2001年発売)の成功から、フィアットにも往年の偉大な名作「500」(ヌオーバ チンクエチェントと呼ばれた2代目モデル)の現代版を求めるリクエストが数多く寄せられていたという。
その要望に応えるかたちで、前輪駆動ながらヌオーバ チンクエチェントを現代によみがえらせたかのようなスタイルを持つコンセプトカー「Trepiuno(トレピウーノ)」が、2004年春のジュネーブモーターショーにて初公開された。
登場するやいなやトレピウーノが日本を含む全世界で圧倒的に支持されたのは、ご存じのとおり。そこでフィアットは、オマージュの対象であるヌオーバ チンクエチェントの発表からピッタリ半世紀後となる2007年7月4日、新たな「フィアット500」として正式に市販モデルを発表した。
ところでトレピウーノという変わったネーミングは「Tre(3)」「Piu(+)」「Uno(1)」、つまり「3+1」をイタリア語で表したもの。その名が示すように助手席を前方にずらすことで、リア1席分のレッグスペースを確保。運転席背後のシートを非常用とする変則的な3+1シーターだったが、生産型500ではボディーを若干大型化することで、なんとか通常の4座席とした。
この現代版500が大ヒットしたことで、フィアットは500の名とデザインを踏襲したモデル展開を大々的に行ういっぽう、全世界の自動車デザインに「かわいいは正義」という価値観を定着させることになった。その意味においては、トレピウーノは極めて重要なコンセプトカーといえるだろう。
(文=武田公実/写真=武田公実、ゼネラルモーターズ、ジャガー・ランドローバー、ダイムラー、ステランティス/編集=櫻井健一)
