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第781回:パリの廃虚巡り!? 自動車ショールームが消えたシャンゼリゼ通りに行ってみた

2022.11.03 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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プジョーもトヨタも消えていた

モーターショーのため、久々に降り立った2022年10月のパリ。本欄第723回では、現地在住のフランス人による「シャンゼリゼ通りから次々と自動車ショールームが消滅している」という話をもとに執筆した。そこで今回、実際に現地に赴いてみることにした。

高級ブランド店の前にできた列を見ると、中国系をはじめとするアジア系観光客は、新型コロナウイルス流行以前の数には到底及んでいないことに気づく。代わりに目立つのは、中東など他地域の新興国や、昨今の為替相場で強いドルを握りしめてやってきたアメリカ人と思われる人々だ。欧州都市のなかでパリは、やはり時代の空気を最も早く、そして如実に反映する。

まず、凱旋(がいせん)門に最も近いプジョーのショールーム「プジョー・アベニュー」があったシャンゼリゼ通り136番地を訪問する。角地であるその場所を見ると、ブルガリに変わっていた。そのイタリアの高級宝飾ブランドは、あたかも何十年も前から、そこに店を構えているように見えるから不思議だ。

いっぽう79番地「ランデブー・トヨタ」が入居していたスペースは、スポーツブランドのナイキに変貌していた。トヨタがそこに店を構えていたのは1998年から2017年までのわずか19年。今やそこに自動車がディスプレイされていたことなど、誰が覚えているだろうか。

今回は、シャンゼリゼ通りの変貌を、自動車視点で実地検証した。これは2019年にオープンしたデパート「ギャラリー・ラファイエット」のロビーにて。現代アート作家イングヴィ・ホーレンの作品。以下、特記なきものは2022年10月撮影。
今回は、シャンゼリゼ通りの変貌を、自動車視点で実地検証した。これは2019年にオープンしたデパート「ギャラリー・ラファイエット」のロビーにて。現代アート作家イングヴィ・ホーレンの作品。以下、特記なきものは2022年10月撮影。拡大
欧州のさまざまな国で「テスラ・モデル3」は電気自動車の販売トップを記録している。だが、フランスにおいては2022年1~8月の販売台数で、ステランティスやルノー系モデルの後塵(こうじん)を拝し、6位にとどまっている(データ出典:AAA Data)。
欧州のさまざまな国で「テスラ・モデル3」は電気自動車の販売トップを記録している。だが、フランスにおいては2022年1~8月の販売台数で、ステランティスやルノー系モデルの後塵(こうじん)を拝し、6位にとどまっている(データ出典:AAA Data)。拡大
12年前、2010年10月の様子。信号待ちで「ルノー・セニック」(2代目)と「メルセデス・ベンツAクラス」(2代目)、そして「シトロエンC3」(初代)が並ぶ。
12年前、2010年10月の様子。信号待ちで「ルノー・セニック」(2代目)と「メルセデス・ベンツAクラス」(2代目)、そして「シトロエンC3」(初代)が並ぶ。拡大
ルイ・ヴィトンの前で入店待ちをする人々。アジア系の人々が新型コロナ禍前と比べて、めっきり減った。
ルイ・ヴィトンの前で入店待ちをする人々。アジア系の人々が新型コロナ禍前と比べて、めっきり減った。拡大
2015年5月の「プジョー・アベニュー」。このときは、パリで活躍するグラフィティアート作家ダルコ氏によって、期間限定のウィンドウが展開されていた。若者の心をつかもうとするブランドの苦心が伝わってくる。
2015年5月の「プジョー・アベニュー」。このときは、パリで活躍するグラフィティアート作家ダルコ氏によって、期間限定のウィンドウが展開されていた。若者の心をつかもうとするブランドの苦心が伝わってくる。拡大
その場所は、ブルガリに変わっていた。
その場所は、ブルガリに変わっていた。拡大
「ランデブー・トヨタ」。2010年3月に撮影。
「ランデブー・トヨタ」。2010年3月に撮影。拡大
2004年2月。2代目「トヨタ・プリウス」がディスプレイされた「ランデブー・トヨタ」。
2004年2月。2代目「トヨタ・プリウス」がディスプレイされた「ランデブー・トヨタ」。拡大
「ランデブー・トヨタ」があった場所は、ナイキになっていた。
「ランデブー・トヨタ」があった場所は、ナイキになっていた。拡大

後継テナントも見つからず

しかしながら最も衝撃的だったのは、メルセデス・ベンツとシトロエンである。ショールームの跡地は、いずれも空き家状態なのだ。

メルセデス・ベンツがあった118番地を訪ねると、「(2階部分と合わせて)1200平方メートル使用可能」の文字が貼られていて、連絡先として米国系不動産会社クッシュマン&ウェイクフィールドと、英国に本拠を置く不動産代理店ナイトフランクの文字が記されている。両社は、この物件だけのために専用ウェブサイトも立ち上げてテナントを探している。サイト内では周辺地下鉄駅の乗降客の合計が一日3000万人に達するといった数字を列挙し、商業地としていかに魅力的であるかを訴えている。しかし、メルセデスが撤退したのが2018年2月だから、4年半以上も入居者が見つからない状態ということになる。すでにカッティングシートの一部がはがれ落ち始めている。

独立したビルゆえ、さらに痛々しいのは、42番地の「シトロエンC42」跡である。1927年にまで歴史をさかのぼるショールームを解体し、2007年に新築したものだ。経営危機から2012年にカタール資本に売却されたあとも、シトロエンがテナントとして使用していたが、2018年に閉鎖された。こちらも4年以上使用されていないことになる。第723回で記したように、狭い敷地面積+途中階へのアクセスが限られる高さ30mの吹き抜けという特異な設計が、転用を阻んでいることは明らかだ。

事実上唯一の日本出身記者として、このビルのにぎにぎしいこけら落としに立ち会った筆者だけに、今日の姿は、より哀れに映る。日ごろは動画配信サイトで、「限界集落」「廃線」「廃虚リゾート」といった内容を面白がって見ている筆者である。だが、建設当時からリアルタイムで観察してきたビルが朽ちてゆくのを直視するのは、なんともつらいものだ。

118番地にあったメルセデス・ベンツのショールーム。2007年9月。
118番地にあったメルセデス・ベンツのショールーム。2007年9月。拡大
2007年9月に展示されていた「メルセデス・ベンツSLRマクラーレン ロードスター」。常に最新・最高級の市販モデルがスターのごとく展示されていた。
2007年9月に展示されていた「メルセデス・ベンツSLRマクラーレン ロードスター」。常に最新・最高級の市販モデルがスターのごとく展示されていた。拡大
メルセデス・ベンツショールームの跡地は、4年半以上にわたりテナント募集中。
メルセデス・ベンツショールームの跡地は、4年半以上にわたりテナント募集中。拡大
内部の様子。メルセデス・ベンツ時代の面影は一切ない。
内部の様子。メルセデス・ベンツ時代の面影は一切ない。拡大
これもメルセデス・ベンツショールームの内部。右がシャンゼリゼ通り。
これもメルセデス・ベンツショールームの内部。右がシャンゼリゼ通り。拡大
メルセデス・ベンツがあったのと同じ場所にあるキャバレー・リドの入り口。観光客減少で2022年8月に76年の歴史の幕をいったん閉じたが、同年12月に業態を変えてリニューアルオープンする予定。
メルセデス・ベンツがあったのと同じ場所にあるキャバレー・リドの入り口。観光客減少で2022年8月に76年の歴史の幕をいったん閉じたが、同年12月に業態を変えてリニューアルオープンする予定。拡大
シャンゼリゼ通りには、ほかにも空き店舗が目立つ。
シャンゼリゼ通りには、ほかにも空き店舗が目立つ。拡大
2007年9月、シトロエンC42ビルの一般公開初日の様子。
2007年9月、シトロエンC42ビルの一般公開初日の様子。拡大
4年以上にわたって、C42ビルは閉鎖されたまま。
4年以上にわたって、C42ビルは閉鎖されたまま。拡大
2007年9月、C42ビル公開セレモニーの日。設計者であるマヌエル・ゴートラン氏(写真左)と、シトロエンブランドのトップを務めていたジル・ミシェル氏(同右。当時)が「私たちの家へようこそ」の文字とともにサインをする。
2007年9月、C42ビル公開セレモニーの日。設計者であるマヌエル・ゴートラン氏(写真左)と、シトロエンブランドのトップを務めていたジル・ミシェル氏(同右。当時)が「私たちの家へようこそ」の文字とともにサインをする。拡大
目隠しのための塗料もはげかけている。
目隠しのための塗料もはげかけている。拡大
2007年9月。オープン直後のシトロエンC42内部。
2007年9月。オープン直後のシトロエンC42内部。拡大
C42ビルの現状。アイコンでもあった吹き抜けの車両展示用ターンテーブルが残されている。
C42ビルの現状。アイコンでもあった吹き抜けの車両展示用ターンテーブルが残されている。拡大

4つに切断されたパナメーラ

自動車を愛(め)でるアベニューとしてのシャンゼリゼの終焉(しゅうえん)を、図らずも筆者の目の前に突きつけてくれたのは、ある現代アートだった。場所はデパート「ギャラリー・ラファイエット」である。かつてヴァージン・メガストアがあった建物で、2019年にオープンしたものだ。

ビルを象徴する豪壮な吹き抜けに置かれていたのは、4分割された「ポルシェ・パナメーラ」である。カットモデルのように極めて美しい断面をもつそれは、ノルウェー-ドイツの現代アーティスト、イングヴィ・ホーレン(1982年~)の作品だ。『CAKE』という題名がつけられている。

バーゼルで2016年に公開され、現在ギャラリー・ラファイエットが運営する財団などが所有する作品について会場の解説には、こうつづられていた。

「スポーツカーかつ4人乗りのファミリーカーとして設計されたこのレーシングカーの矛盾に関心を抱いたホーレンは、ダイヤモンドワイヤを使用してクルマを4つのセクションにスライスすることで、速度と安全性の概念が両立するかどうかを疑問視しています」

説明はさらに続く。

「切断され、機能しなくなったこのクルマは、内部構造図として提示され、カットされた側面が露出して、その内臓と以前のパワーがよりあらわです。つまり作品は、富を平等に再分配する能力に疑問を投げかけるとともに、究極の欲望の対象に終止符を打ちます」

若者たちが楽しげに見ている様子を見て、筆者が思い出したのは、1988年のイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』だ。主人公にとって思い出深い故郷の映画館が爆破・解体されるシーンである。昔恋人だった女性の娘は、その様子を友達と面白がって眺めていた。世代によって対象物への視点が異なるさまは、時に残酷である。

ついでに言えば、1929年に米国系銀行として建てられたこの建物は、ヴァージン・メガストアが2013年に閉店後、フォルクスワーゲンがテナントとして入ることを検討していると当時伝えられた。計画は2015年のディーゼル問題で雲散霧消したのであろう。そのグループのいちブランドのクルマが、切断された状態で展示されるとは、あまりにも皮肉である。

閉店したヴァージン・メガストア。2014年2月。
閉店したヴァージン・メガストア。2014年2月。拡大
「ギャラリー・ラファイエット」シャンゼリゼ店のエントランス。
「ギャラリー・ラファイエット」シャンゼリゼ店のエントランス。拡大
イングヴィ・ホーレン作『CAKE』。今日のスポーツカーが抱えた矛盾点を鋭く突いている。
イングヴィ・ホーレン作『CAKE』。今日のスポーツカーが抱えた矛盾点を鋭く突いている。拡大
 
53番地のアトリエ・ルノー。2004年2月、企画展「(写真家)ロベール・ドアノーとルノー」が開催されていた。
53番地のアトリエ・ルノー。2004年2月、企画展「(写真家)ロベール・ドアノーとルノー」が開催されていた。拡大
現状。2021年3月に発表された新ロゴがウィンドウに貼られている。
現状。2021年3月に発表された新ロゴがウィンドウに貼られている。拡大
2004年2月、企画展「ロベール・ドアノーとルノー」開催期間中の館内。
2004年2月、企画展「ロベール・ドアノーとルノー」開催期間中の館内。拡大
現在は電動車を中心にディスプレイされている。
現在は電動車を中心にディスプレイされている。拡大
2022年にルノーが発表したSUV「オーストラル」。写真の「エスプリ・アルピーヌ」と名づけられた仕様も用意される。
2022年にルノーが発表したSUV「オーストラル」。写真の「エスプリ・アルピーヌ」と名づけられた仕様も用意される。拡大
中2階のカフェ・ルノーは自身の店がミシュラン・ガイドにも載るシェフ、フランソワ・ガニェール氏の監修。
中2階のカフェ・ルノーは自身の店がミシュラン・ガイドにも載るシェフ、フランソワ・ガニェール氏の監修。拡大
グッズ販売コーナー。気がつけば2021年に60周年を迎えた「ルノー4」が主役だ。
グッズ販売コーナー。気がつけば2021年に60周年を迎えた「ルノー4」が主役だ。拡大
日本のルノー愛好家必携の扇子は18ユーロ(約2700円)。
日本のルノー愛好家必携の扇子は18ユーロ(約2700円)。拡大

逆張りのルノー

自動車ショールームに話を戻そう。惜しいのは、19世紀末の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」「フォリー・ベルジェール」といった遊興・飲食施設のように、絵画の題材として自動車ショールームの様子が積極的に描かれなかったことである。存命中フランスを最も長い創作拠点とした荻須高徳は、シトロエンの修理工場がある風景を手がけている。ベルナール・ビュッフェも同様にシトロエンの修理工場や「2CV」を描いている。だが2人がシャンゼリゼのシトロエンを描いた作品は、筆者が知る限りない。

1957年の映画『パリの恋人』では、オペラ座前にあった旧シトロエンの店が一瞬背景に登場するが、こちらにもシャンゼリゼの自動車ショールームは出てこない。

今後筆者は、消滅したシャンゼリゼの自動車ショールームが一瞬でも映っている映画を探したい。特にわずか19年しか存在しなかったランデブー・トヨタが、偶然でもいいから映っている映画が発見できれば楽しいと思っている。

そうしたなか、逆張りともいえるのがシャンゼリゼに1910年から112年にわたって店を構えるルノーである。直近のリニューアルでは以前からあった中2階のレストランがアルピーヌをテーマにしたものに生まれ変わった。

グッズ販売コーナーには、ルノーの「4」や「5」をモチーフにした、彩り豊かな商品が並ぶ。以前のこのブランドではあまり強調されなかった、あえてレトロを武器とするマーケティングには、イタリア出身の現ルカ・デメオCEOの影響が強く感じられる。彼がフィアット在籍時代、「500」(2007年)で展開した戦略とあまりに近似しているのだ。

そればかりではない。ルノーのシャンゼリゼ計画は、近日さらに前進する。計画によると、2022年11月7日から2年間閉鎖したのち「生活、交流、販売の場に変える」という。そして「メーカーが展開するすべてのモビリティーソリューションを集約する予定」とも明らかにされている。

他社の流れに逆行するストラテジーが、グループ・ルノーの各ブランドにどのような効果をもたらすのか。フィアット500を成功に導き、続くフォルクスワーゲン時代は傘下ブランド、セアトのブランドキャラクターを強化して過去最高の販売台数に導いたデメオ氏のマジックが、この世界一有名な街路で再び花開くか、とくと観察したい。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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