第863回:名作「フィアット・バルケッタ」も支えたカロッツェリアの社主逝く
2024.06.13 マッキナ あらモーダ!マッジョーラを知っていますか?
2024年6月7日、イタリアのトリノでは、ある訃報が自動車業界の人々を悲しませた。カロッツェリア・マッジョーラの元社主、ブルーノ・マッジョーラ氏が死去したためだ。87歳だった。
日本の自動車ファンの間で、彼の名前を知る人は決して多くない。しかし、氏の会社が生産に関与した自動車には、今も人々に愛されているモデルが少なくない。
カロッツェリア・マッジョーラは、ブルーノ氏の父アルトゥーロ・マッジョーラ氏によって1925年に設立された車体製作工房がそのはじまりであった。創業時の社名はマルテッレリア・マッジョーラ。Martelleriaとは直訳すれば「ハンマー屋」で、今日でも金属加工の工房を指す言葉である。当初はランチアやフィアットのスペシャルボディーを手がけ、第2次世界大戦後は産声をあげたばかりのチシタリアやアバルトにも車体を供給した。
トリノ郊外のモンカリエリに移転してからは、1963年「マセラティ・ミストラル」、1967年「デ・トマゾ・マングスタ」の車体も手がけている。同時期の興味深い仕事としては、ドイツのハンス・グラース社による1964年「グラースGT」の車体生産だ。同じトリノに存在したカロッツェリアのフルアがデザインしたもので、グラース社が1966年にBMW傘下に入って「BMW 1600GT」と名前を変えたあとも、マッジョーラ社はその車体を製造し続けた。
マセラティからパンダまで
1985年、父アルトゥーロ氏からブルーノ氏に社業が引き継がれたあと、マッジョーラ社は今日のイタリア歴史車ファンにとって、最も印象的な一台をフィアットから受託する。1991年「ランチア・デルタ インテグラーレ エボルツィオーネ」である。同年には他企業との合併も果たす。
1992年には他のカロッツェリア、ストーラと競り合った結果、「フィアット・バルケッタ」の最終組み立て業務も獲得。日に50台のペースで生産を行った。またこの間には、トリノショーでも数々のコンセプトカーを出展。かたわらで、初代「フィアット・パンダ」のバン仕様の生産も受託した。荷室を拡大し、両開きの後部扉を備えたこのモデル、イタリアでは電話会社のサービスカーとして、2010年代まで街の一風景だった。今日でも一部のイタリア人パンダ愛好家の間では、根強い人気がある。
1993年にはフィアットグループからトリノ北郊のキヴァッソにあった旧ランチアの工場を取得。今日振り返れば、当時が絶頂期だった。
しかし、やがて暗雲が立ち込めていった。
また一人去った「お家芸」の生き証人
フィアットから受託した1997年「ランチア・カッパ クーペ」は、このブランドらしい上品なモデルであったにもかかわらず、ドイツ系に占拠されていたプレミア市場では惨敗だった。
さらに、1996年から1998年にフィアット会長を務めたチェーザレ・ロミティ氏(本欄第670回参照)の財務優先経営により、ニッチな外注モデルを中心に大幅な車種整理が行われた。結果として2002年にマッジョーラは倒産の憂き目にあう。
参考までに、イタリアでは2008年にはベルトーネが倒産、2011年にはピニンファリーナが一切の車体受託生産から撤退している。
引退後もブルーノ・マッジョーラ氏は、バルケッタ・クラブ・イタリアの名誉会員として、また2023年にイタリアを代表する自動車書籍出版社ジョルジョ・ナーダから刊行されたバルケッタ関連書籍に協力するなど、かつてのカロッツェリアの“語り部”として活動していた。
量産車をもとに、魅力的かつ手ごろなバージョンを製作するのは、第2次大戦前からイタリアのお家芸だった。そうした自動車文化を支えてきた人物が、また一人世を去ったのは惜しいことである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、ステランティス、BMW/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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