第106回:さよならワグナー(前編) ―メルセデス・ベンツのデザインを変えた傑物の去就―
2026.03.25 カーデザイン曼荼羅 拡大 |
長年にわたりメルセデス・ベンツのデザインを指揮してきたゴードン・ワグナー氏が、ついに退任! 彼はドイツが誇る高級車ブランドになにをもたらしたのか? カーデザインの識者とともに、希代の傑物の足跡とメルセデスデザインの今昔を振り返る。
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キーワードは「官能的純粋」
webCGほった(以下、ほった):今回は、長らくメルセデスのデザインを統括してきたゴードン・ワグナーさんが退任したということで、彼が手がけたメルセデスデザインの変遷と現在について、語ってみたいと思います。
清水草一(以下、清水):ものすごくアカデミックな話題だね!
ほった:そりゃもう、今回は渕野さんのご提案ですから、言うまでもなくアカデミックです。
清水:正直、ゴードン・ワグナーさんっていう名前すら知らなかったんだけど。
ほった:えっ!? それで今までデザインを語ってたんですか? 読者に刺されますよ。
清水:だって俺が語ってるのは、クルマというモノであって人じゃないから。
ほった:クルマの顔だけな気もしますが。
渕野健太郎(以下、渕野):まあまあ。提案者の私にも発言させてください。ワグナーといえば、やはり「センシュアルピュリティー(Sensual Purity)」、日本語で言えば「官能的純粋」というデザイン言語が真っ先に思い浮かびますよね。
清水:それも初めて聞きました(笑)。
ほった:清水さんはちょいと黙っててくださいな(焦)。そうですよね。どうしても直近の、あのツルンとしたデザインのイメージが強い人です。
渕野:そうそう。ただ、具体的に「官能的純粋」とは一体どういう意味なのか? これはあらためて調べてみても、なかなか実体がつかみきれない言葉ではあるんです。このフレーズを使いだしたのは、2010年代に入ってからだったかな。
ほった:先代「Sクラス(W222型:2013年発表)」が登場したあたりでしたっけ?
渕野:そうそう。確か先代Sクラスのときだったと思います(参照)。彼のスタイルは、シンプルさを極めながら、そこに艶やかさというか、ある種の色気を共存させることだったんでしょう。
39歳でデザイン部門のトップに
清水:確かに、先代Sクラスはシンプルで色気があったな。ディーゼルハイブリッドの「300h」が欲しい! って、真剣に思いました。
ほった:えっ、清水さんがメルセデスを欲しがったりしたんですか?
清水:俺はベンツを1台買ったことあるよ。「W123」だけど。
ほった:想像つかない(笑)。
渕野:話をワグナーさんに戻しますと(笑)、彼がメルセデス・ベンツでデザインの責任者に就任したときの年齢をご存じですか? なんと39歳ですよ!
ほった:マジかよ。とんでもなくヤングですね。
渕野:普通はね、どんなに若くても40代、一般的には50歳前後でトップに就くものです。ましてや、あの重厚なメルセデスのデザイン責任者に39歳で抜擢(ばってき)されたというのは、並大抵のことではありません。
清水:イメージ的には、おじいちゃんのメーカーですからね。
渕野:そうそう。で、現在は56歳か57歳くらいでしょうか。私はもっと上かと思っていたのですが、彼は20年近く……正確には17年くらい、ずっとデザイン部門のトップに君臨していたわけです。彼の初期の代表作といえば、やはりこれでしょう。「メルセデス・ベンツSLRマクラーレン」。
清水:これが、彼が世に送り出した、最初期の派手な作品というわけですね。
渕野:公式にはそうなっています。カーデザイナーという職業柄、どの立場でどの程度関わったのかという詳細は、外部からは見えにくいのですが、一応、彼の出世作として数えられています。当時のメルセデスのモチーフは踏襲しつつ、プロポーションにはかなり特徴がありましたよね。
清水:特徴的でしたけど……正直、私は出たときから「なんだこれ、サイアク!」ぐらいに思ってました。
ほった:あっちゃー。
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賛否両論の出世作「SLRマクラーレン」
清水:今振り返ってみても、このクルマはメルセデスのデザイン的ヘリテージにはなってないんじゃないかな。あだ花というか。
ほった:モノとしての価値、希少性は高いと思いますけどね。ただそれが、デザインによるものなのか、それともメルセデス久々のスーパーカーで、マクラーレンとの共同開発だったからなのか。
渕野:もちろん、それもあるのでしょうね。マクラーレンとメルセデスが手を組んだという事実自体が、当時は非常に重要でしたから。
清水:そこは画期的だったけど、むしろこのデザインは、クルマの価値を大きく下げてしまったんじゃないかと思ってるんだけど。
ほった:それに関して、専門家の渕野さんはどう見ていますか?
渕野:個人的には、非常に存在感が強かったという点では成功作のひとつだと思っています。きれいなデザインという枠を超えて、とにかく存在感重視でしたから。
清水:うげぇ! という意味では。
渕野:サイドシルエットやパッケージに関しては最初から決まっていて、そこにどうガワをかぶせるかという手法だったはずです。超ロングノーズのプロポーションは、非常に斬新で個人的には引かれるものがありました。ですので、自分のなかではこのクルマに対して悪いイメージはないですよ。
清水:うーん、私は同じロングノーズなら、ほった君の「ダッジ・バイパー」のほうがずっとカッコいいんじゃないかと思うけど(笑)。このノーズの長さを生かしきれていない気がするな。
ほった:そりゃ相手が悪いですよ。バイパーは未来永劫(えいごう)、FRスポーツカーの最高到達点ですから(真顔)。
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ワグナーが変えたメルセデスのデザイン
ほった:まぁSLRマクラーレンのデザインについては賛否が分かれるところですが、そればっかり話していても仕方ない。アレは特殊なクルマですし。
渕野:ですね。ワグナーがメルセデス・ベンツでなにを変えたか、それを知るうえでも、彼がセンシュアルピュリティーを提唱しだす前のメルセデスがどうだったかを、見てみましょう。
ほった:了解です。
渕野:これは、当時のSクラスに「Eクラス」「Cクラス」です。特にW221型のSクラスなどは、フェンダーが張り出した、いわばフェンダーのお化けみたいなデザインでしたよね。あまり洗練されているとは言いがたい時期でした。
ほった:口さがないジャーナリストさんには、“豊胸手術”なんて言われてましたね(笑)。
清水:今だとコンプラに引っかかるよ。
渕野:でも、言わんとしていることはわかります。当時はEクラスもどこかとりとめのないデザインでした。Cクラスに関しては、私は好きでしたが、全体で見てもモデルごとのイメージがバラバラな時代だった。
そんな流れのなかでワグナーがリーダーに立ったわけですが、彼がどうしたかというと、ラインナップ全体にすさまじい統一感を出すようになったんです。例えば、センシュアルピュリティー以降のS、E、Cを並べると……。
清水:(写真を見て)うーん、確かに似てる。
渕野:もともとのアクの強さが抜けて、かなり洗練された現代的なデザインになりました。キャラクターラインを少し下げ気味にして、ボディーサイドのリフレクション(光の反射)の変化を緻密に計算するようになったんです。
清水:だいぶ上品になりましたね。
渕野:さらに年式が新しくなると、そのキャラクターラインすらなくして、前から後ろまでスパーンと一本の線で通すような、よりシンプルな構成になりました。これが“ワグナー流”の進化の経緯です。
ほった:なるほど。
渕野:最近、本国でSクラスがマイナーチェンジしましたよね。あれで顔まわりが少しゴツくなりましたが、基本的には直近のメルセデスもワグナー流を継承していて、今言ったような流れに変化はありません。
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“正統性”の主張も忘れずに
渕野:もうひとつ、ワグナーさんの仕事で興味深い部分があるんですが……。これはEクラスのサイドビューです。センシュアルピュリティーの以前と以後を比較しても、実は基本的なパッケージはそれほど変わっていない。
実は最近の……っていってもここ20年ですが、メルセデスデザインのキモは、リアの傾き加減にあるんですよ(写真を示す)。
清水:トランクの背面が、前に傾斜していますね。
ほった:垂れ尻スタイルですね。
渕野:そう。サイドを見ると、前から後ろまで軸を走らせて、最後はリアの部分だけボリュームをグッと下げている。これはワグナーさんより前の代からの傾向で、こういう部分は受け継いでいるんですよ。つまり彼は、伝統的なメルセデスの考え方を踏襲しながら、それを極限まで洗練させていった。サラリーマンデザイナーとしては、非常にうまいやり方だと思います。
ほった:スゴい人だけど、一応サラリーマンだったわけですね。
清水:だいぶ高給だろうけど(笑)。
渕野:ガラッと変えるのではなく、「これは正統な進化ですよ」と見せる、その手腕に長(た)けていたんでしょう。ただ、デザインの統一化はちょっといきすぎたきらいもあって、最近のモデルでは、車種ごとの区別が本当につかなくなってきています。顔つきでなんとか差別化しようとはしていますが……。
清水:SUVもほとんど区別がつきませんよ! そういうの、好きじゃないなぁ。
ほった:バリバリの反ワグナー派ですね。
清水:反ワグナーもなにも、今日まで名前も知らなかったけどさ(笑)。
(後編に続く)
(語り=渕野健太郎/文=清水草一/写真=メルセデス・ベンツ、newspress/編集=堀田剛資)

渕野 健太郎
プロダクトデザイナー兼カーデザインジャーナリスト。福岡県出身。日本大学芸術学部卒業後、富士重工業株式会社(現、株式会社SUBARU)にカーデザイナーとして入社。約20年の間にさまざまなクルマをデザインするなかで、クルマと社会との関わりをより意識するようになる。主観的になりがちなカーデザインを分かりやすく解説、時には問題定義、さらにはデザイン提案まで行うマルチプレイヤーを目指している。

清水 草一
お笑いフェラーリ文学である『そのフェラーリください!』(三推社/講談社)、『フェラーリを買ふということ』(ネコ・パブリッシング)などにとどまらず、日本でただ一人の高速道路ジャーナリストとして『首都高はなぜ渋滞するのか!?』(三推社/講談社)、『高速道路の謎』(扶桑社新書)といった著書も持つ。慶大卒後、編集者を経てフリーライター。最大の趣味は自動車の購入で、現在まで通算47台、うち11台がフェラーリ。本人いわく「『タモリ倶楽部』に首都高研究家として呼ばれたのが人生の金字塔」とのこと。
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