第40回:砂漠の覇者Mitsubishi
「パリダカ」を制したパジェロの苦闘
2019.01.10
自動車ヒストリー
世界一過酷といわれるダカールラリーで、7連覇を含む12度の総合優勝を果たした三菱自動車と、日本人ドライバーとして初優勝を遂げた篠塚建次郎。栄光にいたるまでの砂漠での苦闘の数々を、ダカールラリーの変遷とともに振り返る。
荒れ地を走る過酷なサバイバル
初めてパリ‐ダカールラリーが開催されたのは、1978年の暮れである。パリのシャイヨ宮前の広場から、合わせて200台近くのオートバイと自動車がスタートを切った。ゴールは、海を渡ったアフリカにあった。セネガルの首都ダカールを目指し、約1万2000kmを走る。
ラリーの主催者は、ティエリー・サビーヌというフランス人である。前の年にアビジャン‐ニースラリーに出場した彼は砂漠で遭難しかけて救出され、その経験に感銘を受けた。過酷な環境でサバイバルする素晴らしさを多くの人と共有するため、壮大な計画を構想したのだ。
ラリーという名が付いているが、公道で行われる世界ラリー選手権(WRC)のような競技とは異なるカテゴリーだ。砂漠やジャングルなどの荒れ地を走破する長距離の競技は、ラリーレイド、あるいはカントリーレイドと呼ばれて区別されている。パリダカは世界最大のサハラ砂漠を制覇するコースで、「世界一過酷なモータースポーツ」と称された。
日本では今も「パリダカ」という名で呼ばれることが多いが、現在の名称はダカールラリー、もしくは単にダカールである。パリからスタートするコースで行われたのは、2001年が最後だった。2009年からはダカールとも縁がなくなる。アフリカでは政情不安が続き、競技中にドライバーや関係者がテロ組織から襲撃される事件が相次いだからである。
社員ドライバーの挑戦
新しいコースとして選ばれたのは、比較的危険の少ない南アメリカだった。2019年の第41回大会は、ペルー一国での開催となっている。それでも、われわれ日本人はどうしてもパリダカと呼んでしまうのだ。それは、「三菱パジェロ」、そして篠塚建次郎の奮闘を忘れることができないからだろう。
篠塚が初めてパリダカに挑んだのは、1986年である。前年に俳優の夏木陽介がパリダカを走り、日本では大きな話題になった。夏木はダカールの1000km手前でリタイアしてしまい、次は完走を果たそうということで篠塚に白羽の矢が立つ。しかし、彼にとってもラリーは8年ぶりのことだ。
篠塚は三菱自動車の社員だった。学生時代にラリーを始め、腕を買われて三菱に入社した後は社員ドライバーとして国内外のラリーに参戦した。実績を重ねていったが、オイルショックと排ガス規制を受けて、三菱はモータースポーツから撤退してしまう。篠塚は営業部や企画部で一般社員として働きながら、チャンスを待っていた。
篠塚が出場したのは、市販車無改造のマラソンクラスである。街で普通に売られているパジェロに乗って、ゴールを目指した。自由に改造できるプロトタイプとの性能差は大きく、総合優勝は不可能である。8年のブランクも大きい。それでも粘りの走りでクラス6位、総合46位という好成績を残す。パリダカ挑戦の機運は盛り上がり、翌年はプロトタイプで出場することが決まった。
日本で高まる優勝への期待
1985年にパジェロは優勝を経験している。フランスの三菱自動車販売店であるソノートが、フランス人ドライバーの手で快挙を成し遂げていたのだ。1987年は「チームシチズン夏木」が編成され、監督が夏木、ドライバーが篠塚と彼の後輩である増岡 浩のふたりということになった。ソノートが前年に使ったマシンを使っての参戦である。
成果は華々しかった。篠塚は総合3位という望外の成績を収めたのである。日本では快挙が大々的に報道され、パリダカは一気に最も有名なモータースポーツとなった。翌1988年、期待が高まる中で出場した篠塚は、前年を上回る2位という成績を得た。
これを受け、パリダカ参戦は広告宣伝活動という枠組みを離れて正式な活動として承認される。三菱は会社を挙げて取り組む体制を整えたのだ。次に誰もが願ったのは、もちろん日本人ドライバーによるパジェロの優勝である。篠塚の勢いを見れば、それはすぐにでも実現すると思われた。しかし、砂漠の覇者になるのは簡単なことではなかった。
冒険からスピード競技へ
初期のパリダカは冒険的な要素が大きかったが、ポルシェが「959」で参戦したあたりから激しいスピード競争が展開されるようになっていた。市販車とはまるで違う軽量な空力ボディーをまとって強力なエンジンを搭載したモンスターマシンが、砂漠を200km/h以上で突っ走る。当然のことながら、危険は増していく。砂丘を越えたところに穴があれば、ジャンプしてフロントから落ちてしまうことだってある。実際に篠塚は1991年に190km/hで80m宙を飛び、9回転してリタイアに追い込まれた。
パジェロに立ちはだかったのは、プジョーとシトロエンだった。1987年から1990年までプジョーは4連勝し、1991年は同じPSAグループのシトロエンが同じマシンで参戦して優勝した。WRCの経験で得たノウハウをフルに生かし、すさまじいスピードで砂漠を駆け抜ける。マシンは激しく傷むが、大規模なサポートチームが砂漠の中に工場を出現させ、一夜にして新品同様のマシンに仕立て直すのだ。
三菱は本腰を入れて対策を講じるようになる。市販車をベースとして改造するのではなく、まったく新しい先行試験車を作り上げた。最高速度を上げるため、ボディーはコンピューターでシミュレートしたエッグシェイプを採用した。エンジン搭載位置はフロントミドシップとし、前後重量配分を50:50に限りなく近づける。
1992年、パジェロはついに優勝を果たす。1993年も制して連覇するが、ドライバーはいずれもフランス人である。篠塚はそれぞれ3位、5位と健闘したものの、悲願は達成できなかった。1994年からは、シトロエンが3連勝して強さを見せつける。
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不条理を乗り越えてつかんだ勝利
篠塚が、そしてパジェロが相手にしたのは、ライバルチームだけではなかった。1994年には、砂嵐の中を30時間かけて2台のパジェロが砂丘を越えてチェックポイントに到達したが、不可解な理由でゴールがキャンセルされてしまう。努力が順位に反映されないという事態に、三菱は抗議して棄権を決めた。この時以外にも、不思議な出来事が起きていた。燃料タンクの容量から考えるととても走破できない距離を平然と走り抜けてきたマシンがあったと、篠塚は著書に書いている。
初参戦から12年目、ついにその時がやってきた。1997年はレギュレーションが大きく変更された。エスカレートする高速化に対処し、改造範囲に規制が加えられたのだ。シトロエンは撤退したが、新たな強敵としてジャン・ルイ・シュレッサーのバギーが浮上していた。
トヨタや日産、韓国のサンヨンも万全の体制で挑んできた。迎え撃つ三菱はこれまでの苦労がうそだったかのように好調で、終盤に至っても1位から4位を独占していた。ここで総合1位にいた期間が一番長かった篠塚を優先するというチームオーダーが出された。
日本人のパリダカ初優勝は、最後は戦うことなく手に入った。しかし、それが価値を減ずることはない。勝利は12年間の試練と苦難のたまものなのだ。その後篠塚は会社から監督への転身を打診されたが、あくまで現役続行を望んだ彼は退社して日産からの参戦を選ぶ。勝利してもなお、戦い続けることを望んだのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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