第67回:世界を変えたスモールカー「Mini」
スエズ危機が生んだ英国の小さな巨人
2020.01.30
自動車ヒストリー
革新的な設計により自動車史に名を残す名車となった「Mini(ミニ)」。小型大衆車の基礎を築いた英国の“小さな巨人”は、どのような経緯で誕生したのか? その背景には、かわいらしい姿からは想像もつかないような不穏な国際情勢と、不世出のエンジニアの存在があった。
石油不足でバブルカーが人気に
「MINI」はオシャレで都会的なコンパクトカーとして人気となっている。3ドアと5ドアのハッチバックから、ワゴンやクロスオーバー、コンバーチブルまでラインナップを広げており、ポップなデザインセンスが女性からも好評だ。しかし、出自をたどると別の側面が見えてくる。このクルマを生み出したのは、きな臭い国際情勢だった。
1956年10月29日、イスラエル軍がシナイ半島に侵攻する。イギリス軍とフランス軍も呼応するようにして出兵し、スエズ運河を占拠していたエジプト軍に撤退するよう圧力をかけた。エジプトは19世紀末にイギリスの保護国となっていたが、第1次大戦後に独立を果たしていた。それでもスエズ運河はイギリスが支配を続けていたのである。非同盟主義を掲げるエジプトのナセル大統領は1956年7月に運河の国有化を発表し、ソ連から資金援助を受けて英仏に対抗した。
ナセル打倒で利害の一致したイギリス・フランス・イスラエルの3国は、圧倒的な戦力でエジプトを追い詰めた。しかし、アメリカがソ連と共同で停戦を求め、国連も停戦決議を採択する。国際世論に屈する形で3国は撤退し、スエズ運河はエジプトの管理下に置かれることになった。ナセルはアラブ民族主義のリーダーとして名を上げ、英仏の威信は失墜。エジプト軍はスエズ運河に船を沈めて封鎖し、支援の意を明確にしたシリアがペルシャ湾から地中海につながるパイプラインを切断する。石油の輸送を妨げられたヨーロッパは、経済的にも混乱に陥った。
この「スエズ危機」は、自動車にも大きな影響を及ぼすことになる。石油の供給に不安を抱いた人々は、ガソリン消費量の少ない“バブルカー”を求めた。エンジンは単気筒や2気筒の2ストロークで排気量は200~300cc、全長は2メーター半程度というミニマムな簡易自動車である。乗車定員は、多くの場合2名だった。バブルカーは、ドイツのメッサーシュミットやハインケル、イタリアのイソなどが製造していた。
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不世出のエンジニアが実現した高効率パッケージ
ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)会長のレナード卿は外国製のバブルカーが街にあふれていることを愉快に思わず、イギリス製のバブルカーをつくるように指示を出す。ただ、でき上がったクルマはまるで違うものになった。小さいのは確かだったが、簡易自動車などではない。それは、世界を変えるスモールカーだったのだ。
当時BMCで新世代の大型車と中型車の開発を進めていたのが、アレック・イシゴニスである。彼は1906年に、ギリシャ系イギリス人の父とドイツ人の母の子として誕生した。生まれた地はオスマン帝国だったが、第1次世界大戦でイギリスに渡り、工業学校で学ぶ。ハンバーなどで働いた後、30歳の時にモーリスに移り、「マイナー」などを手がけた。モーリスを所有していたナッフィールドグループがオースチンと合併してBMCが発足するとアルヴィスに移籍したが、1956年にレナード卿の勧めで戻ってくる。その直後、スエズ危機が発生したのである。
イシゴニスには自由に設計することが許されたが、エンジンなどのパーツはすでにBMCにあるものをできるだけ多く使用するように求められた。資金が潤沢にあったわけではなく、低予算のプロジェクトだったからだ。ADO15とされた開発名は、「Austin Drawing/Design Office Project No.15」の略である。
1959年、Miniは「オースチン・セブン」と「モーリス・ミニ・マイナー」の名で2つのブランドから発売された。全長は3mをわずかに超える3050mmで、全幅は1410mmという小さなボディーサイズ。それでも4名が乗車するスペースをしっかり確保していた。エンジンルームを最小にして室内空間を広げるため、イシゴニスは画期的な方法を取り入れる。横置きFF方式を採用したのみならず、エンジンの下にあるオイルパンの中にギアボックスを組み込み、“2階建て”にしてスペースを節約したのだ。
Miniクーパーがレースやラリーで活躍
当時のFF車は、エンジン、クラッチ、トランスミッションが一直線に並ぶのが普通だったが、この方式ではどうしても長さを抑えられない。流用したモーリス・マイナー用の直列4気筒848ccユニットはコンパクトとはいえず、“2階建てのパワートレイン”は苦肉の策だったのだ。2階建てにしたことでノーズを短くすることに成功したが、上下の厚みは増したので地面からのクリアランスは小さくなってしまった。また通常なら車両前方に置かれるはずのラジエーターは、ボディー左側に押しやられていた。
省スペースのために、サスペンションにも工夫が凝らされた。金属バネの代わりに、ゴム製のラバーコーンサスペンションを採用したのである。開発したのは、小径タイヤ自転車に名を残すアレックス・モールトンである。イシゴニスの友人だった彼は、曽祖父(そうそふ)から続くゴム製品の会社でエンジニアの経験を積んでいた。彼はボディーとアッパーアームの間の小さなスペースに収まる円すい状のラバーコーンを設計して、友人の困難な要請に応えたのだ。
ラバーコーンサスペンションの採用に加え、10インチという小径のタイヤを使ったことで、Miniは独特な操縦感覚を持つことになる。ハンドルからの入力がクイックに伝わり、ダイレクトなフィールが“ゴーカート感覚”と称された。そのことが、省スペースで燃費のいい大衆車という位置づけだったMiniに、別の役割を与えることになった。
レース仲間だったジョン・クーパーが、クイックなハンドリングを気に入ってモータースポーツで使おうと考えたのだ。Miniはあくまでベーシックカーだと考えていたイシゴニスは乗り気ではなかったが、ハイパワーなエンジンに載せ換えて走らせてみると、そのポテンシャルに驚かずにはいられなかった。Miniはレースやラリーで活躍を見せるようになり、ハイパワーバージョンは「Miniクーパー」と呼ばれて製品ラインナップに加えられた。
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優れた設計が生んだ多彩な派生モデル
走行性能や操縦性に加え、かわいらしいスタイルもMiniの人気の大きな要因だろう。エリザベス女王からビートルズに至るまで、多くのセレブリティーがMiniを愛車にした。イシゴニスのスケッチから生まれた機能的なフォルムは、余計なデコレーションがないおかげでファッションアイコンとして利用しやすかったのだ。あまりに素っ気ない姿を見て、セルジオ・ピニンファリーナは「少しはボディーをデザインすればよかったのに」とイシゴニスに言ったことがある。彼は少しもあわてずに「いや、Miniは私が死んでいなくなってもずっと流行しているよ」と答えたという。イシゴニスが正しかったことは、その後の歴史が証明している。
Miniには多くのバリエーションモデルが存在する。ホイールベースを延ばし、バンやピックアップがつくられた。ボディーの荷室外面に木製の飾りフレームを配した「カントリーマン/トラベラー」は、実用性とファッション性を兼ね備えたコンパクトワゴンだった。ルーフやドアを取り去った「モーク」は、ビーチバギーとして人気となった。シャシーとパワートレインだけを利用し、レーシングマシンに仕立てたバックヤードビルダーも多い。「マイダス・ゴールド」や「マーコスGT」などは、Miniをベースにしたスポーツカーである。
Miniを生み出したBMCは、その後BMH、BLMCに改組され、さらにオースチン・ローバーとなる。会社の組織が変わっても、Miniの製造は続けられた。エンジンの排気量を拡大したり、フロントマスクを変更したりしたが、基本的には同じ形とメカニズムを保ったまま、2000年までつくり続けられたのである。MiniのライセンスはBMWに引き継がれ、2001年に新型が発表された。サイズはいささか大きくなったものの、そこかしこに面影が残されている。「クーパー」や「カントリーマン」といった名称もそのままだ。
スエズ危機の後、1967年に第3次中東戦争が発生する。この時は新たな自動車が登場することはなかったが、1973年の第4次中東戦争が誘発したオイルショックは、自動車産業全体に大きな衝撃を与えた。パワー競争はできなくなり、低燃費の小型車がもてはやされるようになった。そのことが、アメリカビッグ3の衰退と日本車の興隆を促すことになる。自動車の歴史を政治や経済の歴史と切り離して考えることは不可能なのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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