矢貫 隆 の記事一覧(108件)

矢貫 隆
1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。
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2007.5.21 エッセイ 矢貫 隆
第95回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その7:高尾山の自然を守る市民の会(矢貫隆)「昔は静かな暮らしをしていたわけですが、この町の背後を中央線が通るようになり、やがて中央道も開通した。のどかな隠れ里のように見えて、実は大気汚染や騒音に苦しめられているんです。そして今度は圏央道」
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2007.5.18 エッセイ 矢貫 隆
第94回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その6:取り返しのつかない大きなダメージ(矢貫隆)圏央道建設のため、「奇跡の山」高尾山にトンネルを掘るというが、それは法隆寺の庭を貫いて道路をつくるようなものではないか。
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2007.5.14 エッセイ 矢貫 隆
第93回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その5:圏央道と、涸れた滝(矢貫隆)奇跡的に自然が守られてきた高尾山に、トンネルを掘るという大事業が進行している。圏央道をそこに通すためだ。
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2007.5.11 エッセイ 矢貫 隆
第92回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その4:小さな山に異なる植物分布(矢貫隆)高尾山には、稜線を挟んで温暖帯に生育する常緑の広葉樹林と、冷温帯に生育する落葉広葉樹林がひとつの小さな山に分布しているという珍しい事実がわかってくるのである。
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2007.5.7 エッセイ 矢貫 隆
第91回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その3:気軽にハイキングが楽しめる(矢貫隆)新宿からクルマで1時間足らず。いくつかある高尾山のハイキングコースのうち、ちょっと上級向けコースを登り始めたが……。
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2007.5.1 エッセイ 矢貫 隆
第90回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その2:1200年前から守られてきた森(矢貫隆)今から1200年前、行基が薬王院を開いて以来、高尾山は政治的、宗教的な理由から森そのものが守られてきた。
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2007.4.26 エッセイ 矢貫 隆
第89回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その1:日本の植物の3割が集まる山(矢貫隆)都心近郊にある高尾山。年間400万人がハイキングに訪れるレジャースポット、実は非常に珍しい「奇跡の山」だった。
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2006.9.8 エッセイ 矢貫 隆
第88回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳
その10:吹雪のなか、無事に下山……できるか?(矢貫隆)■中高年の登山ブーム、問題あり!「天候は回復しないと思うよ」木曽駒ヶ岳の天候を熟知したおやじさんが言うのである。彼の判断は間違いないだろう。仕方がない、予定は変更だ。氷河期にできたといわれる濃ケ池を見たかったし、岩塊斜面をもっと歩いてみたかった。けれど天候が悪い以上、無理は禁物である。僕たちは早々に尻尾を巻いてロープウェイ駅へと逃げ帰ることに決めたのだった。…
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2006.9.1 エッセイ 矢貫 隆
第87回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その9:ピーク時には海面が130メートルも下がった)(矢貫隆)
■山岳氷河は大きくならなかった日本海から水分を供給され、さらにシベリアからの季節風によって日本の山には雪が降り積もる。もっとも新しい氷河期(最終氷期)の前半期、その時期は大陸氷河もまだ十分に発達していなかったから膨大な量の水が大陸に蓄えられてはおらず、つまり、日本海への影響もでていなかった。だから山岳氷河は大きく、カールから溢れ、下まで流れていったというのだ…
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2006.8.25 エッセイ 矢貫 隆
第86回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その8:まさか、高山病に……)(矢貫隆)
■なぜ氷河の大きさが違ったのか?登山シーズンも終わりの時期とあって、山小屋の客は少なかった。A君を除けば7〜8人の登山者の誰もが中高年である。ストーブの前に集まった彼らは、例によって百名山登山の自慢話に花を咲かせている。それを横目に見ながら、A君は、昼食に僕がおすそ分けしたシチューが焦げ臭かったとか、食後に僕が煎れたコーヒーがいかに失敗だったかを語った。11月の初…
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2006.8.18 エッセイ 矢貫 隆
第85回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その7:山頂付近、すでに小屋は閉鎖!?)(矢貫隆)
■アイスバーンを降りながら稜線に辿り着くと、そこは、それまでの急勾配が嘘のように平坦で広い場所だった。その名も乗越浄土。急登を思えば、ここはまさに極楽である。すぐ目の前にはふたつの山小屋、宝剣山荘と天狗荘があり、視線の先には、絶対に登りたくないような荒々しい姿の宝剣岳が見える。その景色を左に、山小屋を通り過ぎ、目指すは中岳を経由して、今夜の宿、頂上木曽小屋で…
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2006.8.11 エッセイ 矢貫 隆
第84回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その6:花崗岩の岩塊にハイマツが生えるわけ)(矢貫隆)
■岩石の凍結破砕作用ロープウェイの千畳敷駅を降り立つと、目の前には大カールが広がっていた。夏は、ここに高山植物が咲き乱れるらしいが、いつも時期外れに登山をしているものだから僕は見たことがない。この地に立って後ろを振り返れば南アルプスの山並みが眺められ、それはもう別世界の景色なのである。カール地形のなかに造られた登山道を登り稜線にでる。1時間もあれば登り切れる…
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2006.8.4 エッセイ 矢貫 隆
第83回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その5:木曽山脈の隆起は、今も継続している)(矢貫隆)
■2500万年かけて現在のヒマラヤができたユーラシアプレートは大陸プレート、太平洋プレートやフィリピン海プレートは海洋プレート。いくつもあるプレートの境界は、互いに遠ざかる「発散型」と衝突しあう「衝突型」の2つのタイプに分けられるのだそうだ。発散型の境界は裂け目に地球内部からマグマが上がってきてそこを埋めていく。一方、衝突型のプレートが衝突した結果がどうなるか、…
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2006.7.28 エッセイ 矢貫 隆
第82回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その4:数百万年前、日本に高い山はなかった)(矢貫隆)
■「山って……どうしてできたんですかね?」伊那市とか駒ヶ根市とか、あのあたり一帯の、いわゆる伊那谷に住む人たちは木曽駒ヶ岳を「西駒」と呼んでいる。伊那谷からは東西にふたつの駒ヶ岳が見えるからだ。遠く東に荒々しい姿でそびえるのが南アルプスの甲斐駒ヶ岳、すぐ西に見えるのが中央アルプスの木曽駒ヶ岳。このふたつの駒ヶ岳を西駒、東駒と呼び分けているのである。「伊那市が…
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2006.7.21 エッセイ 矢貫 隆
第81回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その3:トイレの裏に、モレーン)(矢貫隆)
■氷河によって運ばれてきた岩や土木曽駒ヶ岳の森には熊がいっぱいいるらしい。何年か前、山仕事をしている地元の人が言っていた。「木を切ってたら上から熊が落ちてきた」たくさんの熊たちが幸せに暮らしている。そこにまるで疑問をはさむ余地などないほど、しらび平までバスで30分の道のりには豊かな自然が残っていた。バスの行く手にサルたちの姿が見えた。ロープウェイの乗り場、しら…
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2006.7.14 エッセイ 矢貫 隆
第80回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その2:ランエボワゴンに乗って)(矢貫隆)
■「速いですよ、これ……」ロープウェイが利用できるから無理をすれば木曽駒ヶ岳の日帰り登山は可能なのだけれど、でも、その「無理する」のが嫌だった。季節は晩秋。夕日は釣瓶落としだし、頂上付近には雪もある。慌てて怖い思いをするのはもう御免なのである。木曽駒ヶ岳登山は今度で3度目だから、要領は先刻承知だ。中央自動車道で長野県駒ヶ根市の駒ヶ根インターまでは東京から2時間…
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2006.7.7 エッセイ 矢貫 隆
第79回:日本に残る「氷河の足跡」、木曽駒ヶ岳(その1:氷河地形を見に行く旅)(矢貫隆)
■「モレーンって何です?」「シーズン最後の山は、やっぱりアルプスでしょう!」虚弱体質で精神軟弱な担当編集A君らしくもない、いつになく強気な発言だった。アルプスって?「ふふふ、中央アルプスですよ」空木岳?「いや、木曽駒ヶ岳です」ほう〜。標高2956メートルの、あの木曽駒ヶ岳ねぇ。で、何故、木曽駒なの?「ふふふ、実はあの山、2612メートル地点までロープウェイで上がれる…
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2005.11.30 エッセイ 矢貫 隆
第78回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その7)(矢貫隆)
■レモン果汁に匹敵する酸性の土壌グラススキーのゲレンデを想わせる松木村跡の林のなかに、直径10cmほどの若い桜の木が立っている。見覚えのある木はそれだけであり、生えている木の種類は少ないように見えた。10数年前、この地を調査した谷山鉄郎(三重大学生物資源学部教授)が、彼の著書『恐るべき酸性雨』のなかで松木村跡の植生について次のように書いている。「重金属による土壌汚…
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2005.11.28 エッセイ 矢貫 隆
第77回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その6)(矢貫隆)
■100年後も、荒れ地のまま道すがらの光景は、治山事業の一環としての山肌の修復風景であり松木沢へと流れ込む谷筋を覆う落石群であり、あるいは、わずか100年のうちに完全に表面の土を失って岩肌を露にした山容であり、堆積場に山と積まれた真っ黒なカラミであった。カラミとは、銅の精錬過程ででる残りかすのことで、細かく磨り潰した石炭のかすをエジプトのピラミッドほども積み上げて…
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2005.11.26 エッセイ 矢貫 隆
第76回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その5)(矢貫隆)
■僕たちへの警告1反は300坪で約992平方m。その10倍が1町歩で99.2アール。100アールが1ヘクタールだから、一町歩は、ほぼ1ヘクタールと考えていい。つまり松木村の20町歩の農地とは、たとえるなら東京ドームのグラウンドと客席を合わせた面積の4倍以上の広さに相当する。これだけの面積の農地が全滅したのだ。生きていく術を失った松木の住人たちが、住み慣れた村を捨てなければならなか…
