第73回:“夢のエコカー”FCV開発の歴史
模索が続く石油依存からの脱却
2020.04.23
自動車ヒストリー
走行中に二酸化炭素を出さないことから、“未来のクルマ”の本命として研究開発が続けられてきた燃料電池車(FCV=Fuel Cell Vehicle)。その実用化と普及を阻む課題とは? 社会的な見地における電気自動車との違いとは? 水素社会の実現とも密接にからむ、FCV開発の歴史を振り返る。
ハイブリッドで先行した日本メーカー
「21世紀に間に合いました。」というキャッチコピーで「トヨタ・プリウス」が登場したのは、1997年である。世界初の量産型ハイブリッド車(HV=Hybrid Vehicle)で、当時としては驚異的な28.0km/リッター(10・15モード)という低燃費は、自動車業界に衝撃を与えた。1999年にはホンダが「インサイト」を発売し、日本はハイブリッドカーの技術で世界をリードする存在となる。
一方で、後れを取る形となった欧米の自動車メーカーは、ハイブリッドに冷ややかな態度だった。内燃機関とモーターを組み合わせる複雑な機構は効率が悪く、主流とはならないと主張したのである。長距離を巡航することが多いヨーロッパではディーゼルエンジンが有利とされ、高速走行ではアドバンテージを生かせないHVには関心が低かった。実際のところプリウスの販売台数はさほど伸びず、インサイトはさらに厳しい状況だった。
風向きが変わったのは、2代目プリウスが爆発的なヒットになってからである。アメリカでは環境意識の高いハリウッド俳優が競って購入し、ブランドイメージは急上昇した。今ではHVは特別な存在ではなくなり、懐疑的だった欧米メーカーもさまざまなモデルを発売している。
欧米メーカーがハイブリッドを“つなぎの技術”だとみなしたのは、本命といわれる次世代車が想定されていたからだ。それがFCVである。水素を動力源とし、走行中には一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物などの有害物質を排出しない。温暖化ガスの二酸化炭素さえもゼロで、“究極のエコカー”と呼ばれた。21世紀に入った頃からFCVへの期待はふくらみ、開発競争が激しくなる。中には「2010年には量産化する」と宣言するメーカーも現れた。
結果としては、FCVでも日本の自動車メーカーが先駆けることになった。2002年、ホンダが「FCX」、トヨタが「FCHV」を発表したのだ。
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市販化を阻んだ技術的難問
ホンダもトヨタもFCVは市販せず、官庁などへのリース販売に限定した。開発には巨額の費用がかかっており、現実的な販売価格を設定することは不可能だったのだ。日本では国土交通省や経済産業省、環境省などに貸し出され、アメリカのロサンゼルス市などでも使われることになる。1997年に京都議定書が採択されて以来、温暖化ガスの削減が強く求められるようになっており、FCVには行政からの関心も高かったからだ。
次世代車として開発を早めようという機運は高まったが、市販化への道はなかなか見えてこなかった。克服しなければならない技術的難問が山積していたのである。燃料電池とは水素と酸素を化学反応させて電気を取り出す装置で、化学の授業で習う“水の電気分解”とちょうど逆のプロセスである。スタックと呼ばれるこの装置はまだ開発途上で、効率の向上と小型化が課題となっていた。当時はカナダのバラード社がトップを走っていて、ホンダが最初に採用したのはこの会社の製品である。一方、トヨタは独自に開発したスタックを搭載しており、ホンダも2004年の改良版からは自社製のものを使うようになった。
動力源としての水素をどうやって車内に収めるかも、難しい課題だった。ガソリンのように、金属や樹脂でつくったタンクに入れることはできないのだ。水素分子は小さいので、わずかな隙間からも漏れてしまう。そこで金属に吸着させたり、メタノール改質器を使ったりと、さまざまな方法が試行錯誤された。ホンダとトヨタが採用したのは高圧タンク方式だったが、圧力は350気圧ほどで、車載できる容器の大きさを思えば、十分な量を充てんするにはほど遠いスペックだった。実際、航続距離はFCXが355km、FCHVが330kmと、実用には物足りないものだった。
流通段階でも、水素は扱うのが難しい物質だった。漏れやすいのは同じであり、高圧での保存が求められる。水素ステーションの建設費は、ガソリンスタンドよりもはるかに高くなってしまうのだ。また、水素は自然界ではほとんど単独で存在せず、エネルギー源として使うには何らかの方法で生成しなければならない。水を電気分解してつくるのが理想だが、採算を考えれば現段階では不可能。石油や石炭を改質して水素を取り出す方法もあるが、枯渇していく化石燃料に頼るのでは今日の内燃機関と同じで、また製造過程で二酸化炭素も排出されてしまう。ガソリンやディーゼルに対抗できるコストで、しかも環境面でアドバンテージを得るのは簡単なことではないのだ。
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逆境でも進められた開発
新たなライバルも出現した。電気自動車(EV=Electric Vehicle)である。2009年に三菱が「i-MiEV」を発売し、2010年には日産が「リーフ」で続いた。アメリカのテスラモーターズは、それより早い2008年にスポーツカーの「ロードスター」を発売している。そもそも、EV自体はガソリンエンジンよりも歴史が古い。内燃機関車との競争に敗れて長らくすたれてはいたものの、電池の性能が向上したことにより、エコカーの有力な選択肢となったのである。
EVが脚光を浴びたことにより、FCVは後景に退いた形となった。それでも、地道な開発が着々と進められていく。トヨタが2008年に発表した改良版の「FCHV-adv」は、水素タンクの圧力を2倍の700気圧にし、航続距離を830km(10・15モード)に伸ばした。同じ2008年にホンダがリース販売を開始したのは、FCXの後継車となる「FCXクラリティ」である。スポーティーな専用ボディーをまとい、最高速度は160km/h、航続距離は620km(10・15モード)となった。
一方、期待されたEVの普及は遅々として進まなかった。ネックとなったのは、価格と航続距離である。高価な電池を大量に積まなければならず、軽自動車をベースとしたi-MiEVでも、当初の価格は450万円を超えた。国の補助金を適用しても、負担額は300万円以上である。航続距離は10・15モード走行の場合で160kmとされたが、ヒーターを使うと電力消費率が大きく悪化。電池切れの危険を考えると、片道50〜60kmほどが実用的な移動範囲だった。また充電には時間がかかるので、夜間など非使用時に自宅で行うのが基本となる。気兼ねなく使うには駐車場に充電設備が必要で、さらに非常時に急速充電器を使っても、80%まで回復するのに30分を要した。使い勝手の悪さが、ユーザーにEVの購入をためらわせた。
結局、エコカーとして最も普及したのは、車種の選択肢も広いHVだった。ハイブリッドシステムは飛躍的に進化し、現在のHVは初代プリウスなどよりはるかに低燃費になっている。ただ、内燃機関を使っていることには変わりはなく、化石燃料を消費して二酸化炭素を排出し続けていることになる。弱点を克服するため、EVとHVを組み合わせたプラグインハイブリッド車(PHEV=Plug-in Hybrid Electric Vehicle)も発売された。しかし、やはり電池を多く積まなくてはならないため、価格面では競争力を持つに至っていない。
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高まる水素エネルギーへの注目
燃料電池はガソリンエンジンに代わる動力源というだけにとどまらず、エネルギーの根本的な転換という意味を持っている。アイスランドでは、国全体で石油に頼らないエネルギー構造を実現するための試みが行われ、乗用タイプのFCVに加えて、燃料電池バス、燃料電池船を運行し、水素ステーションの建設が進められた。地熱発電などの持続可能なエネルギー源の開発と合わせ、2050年には水素社会を実現するという壮大な計画だ。日本と同じく資源を持たないアイスランドにとって、石油依存からの脱却は悲願なのだ。
次世代車の方向性が定まらない中、FCVをめぐって新たな展開が生まれた。2011年、トヨタ、ホンダ、日産とエネルギー企業10社が、水素ステーション100カ所の先行整備をうたった共同声明を発表したのだ。2013年には、トヨタとBMW、日産とダイムラーおよびフォードが、それぞれに燃料電池システムで提携することが明らかとなる。
日本では2014年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画に、「水素社会の実現」という文言が盛り込まれた。国会の水素議連のメンバーは100人を超え、経済産業省は「水素・燃料電池戦略ロードマップ」を策定した。2020年に開催されるはずだった東京オリンピックは、水素社会をアピールする絶好の機会ととらえられていた。舛添要一東京都知事(当時)は「競技施設、選手村ではガソリン車を排除する」と意欲を示していたのである。
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今も続く未来への模索
水素社会実現への機運が盛り上がっていた2014年、トヨタは量産FCVの「ミライ」を発売した。リースではなく、一般ユーザーも購入することができる。ただ生産台数は年間700台で、水素ステーションの普及が進まなかったこともあって大きなインパクトを与えることはできなかった。
そしてFCVには試練の時期が訪れる。2015年にフォルクスワーゲンのディーゼルエンジン不正が発覚し、欧米メーカーがEV化に舵を切ったのだ。HVでもFCVでも、先行している日本とは勝負にならないので、一足飛びにEVを標準にすることで有利な状況を築こうとしたのである。
先進諸国ではCO2排出量を劇的に減らすことを求めるようになり、期限を切って内燃機関車の販売禁止を打ち出す国も相次いで現れた。アメリカのカリフォルニア州ではZEV(Zero Emission Vehicle)規制でHVがエコカー認定から外れ、中国のNEV(New Energy Vehicle)規制でも明確にEV優遇の方針が示された。FCVもエコカーとして扱われるが、水素ステーションなどのインフラ整備が進まなければEVに対して競争力を持つことができない。テスラモーターズCEOのイーロン・マスク氏は、「FCVが自動車産業の進むべき正しい道だとは思わない」と発言している。
こうして、一時はこのままEVが覇権を握るかのように思われたが、今日では少しずつ状況は変化している。EVの価格や航続距離などの問題は解決されておらず、普及には時間がかかることがわかってきたのだ。長距離トラックなどにはFCVが向いているという論調も広まっている。2019年の東京モーターショーでは、メルセデス・ベンツが量産FCV「GLC F-CELL」の日本導入をアナウンス。2020年末には、トヨタが2代目ミライを発売する予定になっている。
持続可能な社会を実現するための明確な未来図は、誰も描けていない。FCVの可能性は、これからも模索されていくはずだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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