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第84回:21世紀に間に合ったハイブリッドカー
「プリウス」が切り開いた自動車の未来

2020.09.23 自動車ヒストリー 鈴木 真人 世界初の量産ハイブリッドカーとして誕生した「トヨタ・プリウス」。純ガソリン車の2倍という燃費性能を実現したこのクルマは、どのような経緯で生まれ、どのように世界を変えたのか? 新時代のエコカー創出に向けた挑戦の歴史を振り返る。

1968年から進められていた研究

1997年10月、世界初の量産ハイブリッド乗用車「トヨタ・プリウス」が発表された。「21世紀に間に合いました。」というキャッチコピーが示すように、20世紀の終わりに次世代の自動車像を示した歴史的なモデルである。ただ、プリウスはトヨタが初めて発売したハイブリッドカーではない。同じ年の8月、「コースターハイブリッドEV」が世に出ていた。シンプルなシリーズ式ハイブリッドシステムを搭載したマイクロバスである。それ以前にも、トヨタはさまざまなチャレンジを繰り返していた。プリウスはある日突然出現したわけではなく、長い試行錯誤の末に生まれたのだ。

1975年、トヨタは東京モーターショーにハイブリッドカーのコンセプトモデルを出展した。ベースになったのは高級車「センチュリー」である。ノーズを伸ばして発電用ガスタービンを搭載し、モーターで前輪を駆動する仕組みだった。トヨタでは1968年からガスタービンエンジンを活用したシステムの開発を行っていて、1973年のオイルショックを背景に本格的なハイブリッドシステムの研究が進められた。1977年には、「スポーツ800」にガスタービンを載せたモデルが、やはりコンセプトカーとして発表されている。

当時はまだモーターや電池の性能が十分ではなく、開発は中断する。しかしガソリンの供給についての不安は依然として消えておらず、1981年には「スターレット」に“エコランシステム”と名付けたアイドリングストップ機構を搭載するなど、燃費改善の努力が続けられていた。ガソリンエンジンに代わる動力を追求する試みも並行して進めており、1992年にはEV開発部を新設、燃料電池開発のプロジェクトも発足する。1993年には「タウンエースバンEV」と「クラウンマジェスタEV」が発売され、官公庁などに納品された。

世界各国で、ポストガソリンエンジン車が模索されていた。ボルボが1992年に発表したコンセプトカー「ECC(Environmental Concept Car)」は、ガスタービンを用いたプラグインハイブリッドカーである。GMは1990年代後半に電気自動車(EV)の「EV1」をリース販売した。しかし、次世代のエコカーが実際に市販されるのはまだまだ先のことだと考えられていた。

1997年10月に発表、同年12月に発売された初代「トヨタ・プリウス」。手塚治虫の漫画のキャラクターが総出演したCMも印象的だった。
1997年10月に発表、同年12月に発売された初代「トヨタ・プリウス」。手塚治虫の漫画のキャラクターが総出演したCMも印象的だった。拡大
1977年に発表された「トヨタ・スポーツ800 ガスタービン/バッテリー ハイブリッド車」。
1977年に発表された「トヨタ・スポーツ800 ガスタービン/バッテリー ハイブリッド車」。拡大
1992年に発表されたボルボのコンセプトカー「ECC」。ガスタービン式ハイブリッドシステムの搭載に加え、再生可能素材の積極的な採用も注目を集めた。
1992年に発表されたボルボのコンセプトカー「ECC」。ガスタービン式ハイブリッドシステムの搭載に加え、再生可能素材の積極的な採用も注目を集めた。拡大
「ボルボECC」のパワーユニット。当時は、燃焼によって生じた高圧ガスを噴射してタービンを回すガスタービンエンジンが、ハイブリッド車用の発電機としても好適と考えられていた。
「ボルボECC」のパワーユニット。当時は、燃焼によって生じた高圧ガスを噴射してタービンを回すガスタービンエンジンが、ハイブリッド車用の発電機としても好適と考えられていた。拡大
GMが1996年に発表したコンセプトカー「EV1」。車名の通り、ハイブリッドカーではなく電気自動車だった。
GMが1996年に発表したコンセプトカー「EV1」。車名の通り、ハイブリッドカーではなく電気自動車だった。拡大
トヨタ の中古車

“燃費向上100%”指令が下る

トヨタでは1992年から“21世紀のクルマ”の検討が始まった。プリウスの開発に携わった小木曽聡は、「豊田英二さんが“もう少しで21世紀も来るし、中長期的にクルマのあり方を考えたほうがいいんじゃないか”という話をされていたようです。当時R&D部門の副社長だった金原淑郎さんがそれを受けてスタディーを開始しようということになったのが、1993年の夏ごろでした」と証言する。会長の豊田章一郎も賛意を示してアシストしたという。プロジェクトは「G21」と名付けられた。Gは地球を意味するGlobeの頭文字で、21は21世紀のことである。

G21が本格的にスタートしたのは1994年1月。内山田竹志がリーダーとなった。「資源問題と環境対応に何らかの解答を出す」という漠然とした方向性はあったものの、具体的にどんなクルマをつくるのかはまだ決まっていない。共通認識として「最低50%以上の燃費向上」という目標があり、直噴エンジンの効率化で対応しようとしていた。そこに、「燃費向上は最低でも100%でなければならない」と号令が飛ぶ。これは従来の数字の2倍にするということで、エンジンの効率化だけで達成するのは不可能だった。

この目標ができたことで、“21世紀のクルマ”は必然的にハイブリッドカーに決定した。1995年の東京モーターショーに、プリウスの名でコンセプトカーが出展される。パワーユニットはガソリンエンジンをモーターでアシストする「TOYOTA EMS(Energy Management System)」だと紹介された。実際に市販モデルに搭載されるシステムとは違うものである。この時点では、ライバルにすべてを公開しないほうがいいという判断があったからだ。

EMSは電気モーターとCVTを組み合わせたもので、いわゆるパラレル方式のシステムである。ハイブリッドには、大きく分けてパラレル方式とシリーズ方式がある。パラレル方式はエンジンによる走行を随時モーターがアシストするもので、シリーズ方式はエンジンを発電のために使い、駆動はモーターによって行うものである。

初代、2代目、3代目と「プリウス」の開発を担ってきた小木曽聡。(写真:荒川正幸)
初代、2代目、3代目と「プリウス」の開発を担ってきた小木曽聡。(写真:荒川正幸)拡大
G21を主導した内山田竹志。技術管理部からの人材で、それまでチーフエンジニアなどを務めていなかったことが、かえってゼロから新しいものをつくるのには好適と考えられたという。
G21を主導した内山田竹志。技術管理部からの人材で、それまでチーフエンジニアなどを務めていなかったことが、かえってゼロから新しいものをつくるのには好適と考えられたという。拡大
1995年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカー「プリウス」。後年の市販モデルとはまったく異なるパワーユニットが搭載されていた。
1995年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカー「プリウス」。後年の市販モデルとはまったく異なるパワーユニットが搭載されていた。拡大
大まかなハイブリッドシステムの種類と、それぞれにおける機械駆動力と電力の流れ。市販車の「プリウス」には、シリーズパラレル式のハイブリッドシステムが採用された。
大まかなハイブリッドシステムの種類と、それぞれにおける機械駆動力と電力の流れ。市販車の「プリウス」には、シリーズパラレル式のハイブリッドシステムが採用された。拡大

モーターとエンジンのいいとこ取り

ハイブリッドカーの歴史をさかのぼれば、1899年の「ローナーポルシェ」に行き着く。フェルディナント・ポルシェ博士が製造したEVで、高性能なモデルだったが航続距離に弱点があった。そこでガソリンエンジンを発電機として加えたのが、「ミクステ」と呼ばれるモデルである。初めてのハイブリッドカーは、シリーズ式だったのだ。当時はまだガソリンエンジン車の覇権が確定していない時期であり、さまざまな動力が混在していた。電気自動車が勝ち残れなかったのは、電池の性能が貧弱だったことが大きい。ハイブリッドカーでも、重い電池の存在は克服できなかった。

100年後のハイブリッド車や電気自動車も、やはり同じ問題を抱えていた。しかしトヨタは「RAV4 EV」を開発する過程で、ニッケル水素電池を扱っていた。鉛電池に比べればはるかに高性能であり、この技術を経験していたことはハイブリッドシステムの開発に光明をもたらした。小型の永久磁石モーターも大きな武器となる。ただ、こうしたアドバンテージはあったものの、電池とモーターだけではハイブリッドシステムはつくれない。難問は山積していた。

1997年3月に発表された「THS」(トヨタ・ハイブリッド・システム)は、1モーターのEMSとは異なり、2つのモーターを持っていた。パラレル方式とシリーズ方式を組み合わせ、エンジンを駆動力として利用しながら発電にも用いる複合型である。“いいとこ取り”を実現するために、プラネタリーギアを使った動力分割機構が取り入れられた。モーターは発進時に大トルクを供給するのに適していて、高速走行ではガソリンエンジンに分がある。状況に応じてエンジンを動かしたり停止させたりし、効率を向上させるシステムをつくったのだ。

エンジンは発電も担当し、減速時には回生ブレーキも充電を助ける。エンジン自体も高効率なアトキンソンサイクルを採用。発表会で示された性能は「従来の同クラス車に比べて燃費は100%向上、CO2は2分の1、CO・HC・NOxは現行規制値の10分の1」というものである。奥田 碩社長が自らあいさつに立ち、「トヨタは21世紀の環境問題にひとつの答えを出すハイブリッドシステムを開発した」と高らかに宣言。プレスリリースには約2倍の燃費を実現することと、年内に新型車を発売することが明記されていた。

ポルシェが開発したEVの「ローナーポルシェ」。自動車の黎明(れいめい)期には、EVは内燃機関車、蒸気機関車と覇を競う存在だったが、航続距離の短さを克服できず、衰退した。
ポルシェが開発したEVの「ローナーポルシェ」。自動車の黎明(れいめい)期には、EVは内燃機関車、蒸気機関車と覇を競う存在だったが、航続距離の短さを克服できず、衰退した。拡大
フェルディナント・ポルシェが開発したハイブリッドカー(1903年)。エンジンによって発電された電気でモーターを駆動する、シリーズ式ハイブリッドシステムを採用していた。
フェルディナント・ポルシェが開発したハイブリッドカー(1903年)。エンジンによって発電された電気でモーターを駆動する、シリーズ式ハイブリッドシステムを採用していた。拡大
1996年に発売された「トヨタRAV4 EV」は、シール型のニッケル水素バッテリーと最高出力45kW(約61PS)の永久磁石式同期型モーターを搭載。こうしたEVで培った技術が、ハイブリッドカーの開発に生かされた。
1996年に発売された「トヨタRAV4 EV」は、シール型のニッケル水素バッテリーと最高出力45kW(約61PS)の永久磁石式同期型モーターを搭載。こうしたEVで培った技術が、ハイブリッドカーの開発に生かされた。拡大
初代「プリウス」のパワーユニットは、アトキンソンサイクルの1.5リッターガソリンエンジンと、2基のモーター/ジェネレーターからなり、それらをプラネタリーギアを用いた動力分割機構で連携させることで、エンジン走行、モーターアシスト、モーター走行、ブレーキエネルギー回生を実現していた。
初代「プリウス」のパワーユニットは、アトキンソンサイクルの1.5リッターガソリンエンジンと、2基のモーター/ジェネレーターからなり、それらをプラネタリーギアを用いた動力分割機構で連携させることで、エンジン走行、モーターアシスト、モーター走行、ブレーキエネルギー回生を実現していた。拡大

驚異的な燃費と価格で登場

1997年の東京モーターショーを前にして、10月14日にプリウスは発表された。燃費は10・15モードで28.0km/リッターという、当時としては驚異的なものだった。目標は見事に達成されたのである。そして、もう一つ人々を驚かせたのは、215万円という価格だった。同クラスの「カローラ」と比べれば50万円ほど高かったが、最新テクノロジーを満載した次世代車としては破格の安値である。同年12月10日から販売が始まり、翌年の販売台数は予想をはるかに上回る1万8000台近い数字となった。

この成功を見ても、欧米の自動車メーカーは静観していた。ハイブリッドカーはつなぎの技術でしかないと考えていたのである。究極のエコカーは電気自動車か燃料電池車であり、内燃機関とモーターという2つの動力を持つハイブリッドカーに利点はないというのが彼らの認識だった。

一方、日本ではハイブリッド技術が肯定的に受け止められた。1999年9月には、ホンダがパラレル方式のハイブリッドシステムを採用した「インサイト」を発売する。2人乗りではあったが、アルミボディーを採用するなどして徹底的に軽量化した意欲的なモデルだった。2000年4月には、日産が100台限定で「ティーノハイブリッド」を発売。ハイブリッドカーの環境対応車としてのイメージは確固としたものになった。

2001年になると、「エスティマハイブリッド」が登場する。燃費が悪くて当然とされていたミニバンにもラインナップが広がり、ハイブリッドカーはより身近な存在となった。同年8月にはクラウンからマイルドハイブリッドと名付けられた簡易システムを搭載したモデルが登場。12月には、ホンダが「シビックハイブリッド」を発売した。2003年にプリウスがモデルチェンジを果たし、日本ではもうハイブリッドカーはごく当たり前の選択肢として受け止められるようになっていた。

複雑で先進的なパワーユニットを搭載しながらも、現実的な価格設定で登場した初代「プリウス」は、メーカーの予想を上回る販売を記録した。
複雑で先進的なパワーユニットを搭載しながらも、現実的な価格設定で登場した初代「プリウス」は、メーカーの予想を上回る販売を記録した。拡大
1999年9月に発表された「ホンダ・インサイト」。パワーユニットはシンプルなパラレルハイブリッドだったが、空気抵抗を徹底的に抑えたエクステリアデザインと、軽量なアルミボディーにより、32.0km/リッター(10・15モード)という燃費を実現していた。
1999年9月に発表された「ホンダ・インサイト」。パワーユニットはシンプルなパラレルハイブリッドだったが、空気抵抗を徹底的に抑えたエクステリアデザインと、軽量なアルミボディーにより、32.0km/リッター(10・15モード)という燃費を実現していた。拡大
トヨタは、ミニバンの「エスティマ」(写真)、SUVの「ハリアー」「クルーガー」と、ハイブリッド車のラインナップを拡充。幅広いモデルで選択できるようにしていった。
トヨタは、ミニバンの「エスティマ」(写真)、SUVの「ハリアー」「クルーガー」と、ハイブリッド車のラインナップを拡充。幅広いモデルで選択できるようにしていった。拡大
2003年9月に発売された2代目「プリウス」。この代より、プリウスは海外でも広く認知されるようになった。
2003年9月に発売された2代目「プリウス」。この代より、プリウスは海外でも広く認知されるようになった。拡大

環境負荷低減への模索は続く

この頃から、アメリカでもプリウスが大きな注目を集めるようになる。きっかけは、ハリウッドセレブたちだった。エコロジーに関心の高いスターたちがアカデミー賞の授賞式に競ってプリウスで乗りつけ、マスコミが大々的にその様子を取り上げたのだ。欧米メーカーも追随せざるを得なくなり、2009年にはメルセデス・ベンツが「S400ハイブリッド」を、2010年にはGMが「シボレー・ボルト」を発売した。

現在ではハイブリッドカーは珍しいものではなくなった。トヨタは続々とラインナップを拡大し、コンパクトカーからSUVまで多くのモデルでハイブリッドが選べるようになっている。さらに2014年12月には世界初の量産燃料電池車「ミライ」を発売し、新たな選択肢を示した。2020年4月には、トヨタ製ハイブリッドカーの世界累計販売台数が1500万台を突破。今やプリウスにはプラグインハイブリッドモデルも追加されている。トヨタはハイブリッドの特許を無償公開して電動車の普及を促す姿勢を明確にしたが、ヨーロッパでは簡易な48Vマイルドハイブリッドが主流になっている。

クルマの電動化は後戻りのできない流れになり、一部の国では内燃機関のみを動力とするクルマの販売禁止を宣言した。一気にEVが主流になるという観測もあったが、現状ではトータルで環境負荷を減らすのはハイブリッドカーだともいわれる。中国では政策を見直し、ハイブリッドカーを優遇する方向に舵を切った。また水素と二酸化炭素から合成するカーボンニュートラルな「e-fuel」という新燃料の研究も進められている。どんな動力が将来の主流になっていくのかは見通せないが、20年以上にわたってエコカーの先端を走ってきたのは確かにプリウスだった。このクルマが21世紀に間に合ったことで、次世代自動車の方向性が決まったのだ。

(文=webCG/イラスト=日野浦剛)

メルセデス・ベンツ初の量産ハイブリッドカーとなった「S400ハイブリッド」。モーターはコンパクトで、電気のみでの走行はできなかった。
メルセデス・ベンツ初の量産ハイブリッドカーとなった「S400ハイブリッド」。モーターはコンパクトで、電気のみでの走行はできなかった。拡大
2010年に登場した「シボレー・ボルト」は外部からの充電が可能なプラグインハイブリッド車だった。
2010年に登場した「シボレー・ボルト」は外部からの充電が可能なプラグインハイブリッド車だった。拡大
欧州ではISG(インテグレーテッドスタータージェネレーター)を用いたマイルドハイブリッド機構が主流となりつつある。仕組みは、以前からスズキが用いてきたモーターアシスト機構に近いが、二次電池の電圧が48Vと、より高電圧となっている点が特徴だ。
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トヨタが2014年11月に発表した燃料電池車「ミライ」。環境負荷の少ないエコカーの開発は、今日も進められている。
トヨタが2014年11月に発表した燃料電池車「ミライ」。環境負荷の少ないエコカーの開発は、今日も進められている。拡大
鈴木 真人

鈴木 真人

名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。

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