第695回:欧州カーシェアリングの切ない傷跡 ピニンファリーナのブルーカーにささげる言葉
2021.02.25 マッキナ あらモーダ!トリノでの再会
本連載で筆者が数回にわたってリポート(第679回/第689回/第691回)した電気自動車(EV)の新型「フィアット500」の、イタリアにおけるカーシェアリングへの大量導入が始まった。
サービス名は「リーシスゴー!」だ。FCA系リース会社のリーシスによる運営で、第1弾として2021年1月にトリノで開始された。
年内にはミラノとローマでもサービスが始まる。導入される新型500は1000台以上と計画されている。
イタリアでは10人に9人のドライバーが電動車に関心があるという(2020年11月のアレテによる調査)。ハイブリッド車なども含まれた数字だが、まずはカーシェアで新型500を試すユーザーも少なからずいるのではないか? と筆者は読む。
いっぽう今回の話は、欧州におけるカーシェアの先駆けに、意外な場所で出くわしたところから始まる。
2020年秋、筆者が特急「イタロ号」をトリノのポルタ・スーザ駅で降りた時のことだ。
この駅は2006年のトリノ冬季五輪を契機に大改築が行われた(完成したのは2011年だったが)。特急が停車するようになった駅舎はモダンすぎて、地下ホームから階段を上るうちに方向感覚が失われる。そのうえ、地上の風景も東西が限りなく対称である。何度降りても、西口か東口かが即座に分からない。
駅舎を出て迷ううち、道端に並んでたたずむシェアリング自動車に目を奪われた。かつてパリのカーシェアで使われていた「Bluecar(ブルーカー)」の同型車である。なぜ今トリノの地にあるのだろう。
政商と名門
過去に記したこととも一部重複するが、まずはおさらいをしておこう。
ブルーカーは、パリのカーシェアリング「オトリブ」で有名になったEVである。
その祖先は2つある。ひとつは2005年にフランスの企業グループであるボロレの関連会社、バッツキャップがジュネーブモーターショーに展示した「ブルーカー コンセプト」である。この時点でバッテリーはリチウムイオンが採用されていた。今考えれば、このクルマはボロレがシェア事業に参入可能であることを誇示する一種の“のろし”の役目を果たした。
もう1台は、ピニンファリーナが2008年のパリモーターショーで公開したEV「ピニンファリーナB0コンセプト」である。
ボロレとの共同開発によるもので、こちらにはボロレが得意とし、のちに生産型にも搭載されるリチウム金属ポリマー電池(LMP)が採用されていた。さらにルーフにはソーラーパネルも設置されていた。
筆者はいずれの発表の場にも立ち会うことができた。特に記憶が鮮烈なのは後者だ。なぜならCEOを務めていたアンドレア・ピニンファリーナ氏が突然の交通事故でこの世を去ったわずか2カ月後のことだったからだ。ピニンファリーナにとってアクシデント後初の国際ショーということで、ブースは重々しさと人々の好奇心とが入り交じった、特別な空気に支配されていた。配布された資料の巻末には、B0コンセプトの脇に立つアンドレア氏の写真がオマージュとして掲載されていた。
傍らでボロレは、当時パリ市長だったベルトラン・ドラノエ氏が世界に先駆けて導入を模索していたシェアEV計画の入札で、着々と勝ち残ってゆく。
参考までにボロレの社主であるヴァンサン・ボロレ氏は、サルコジ元フランス大統領をはじめとする中央政界と太いパイプを持っていた。
そしてボロレ氏は2010年末、パリ市からシェアEVおよびインフラ事業の受注に成功する。
それを受けてピニンファリーナは、ボロレからリチウム金属ポリマー電池の供給を受けて車両生産を担当することになった。
社主を突然失ったうえ、クーペやカブリオレなどの受託生産契約が次々とメーカー側から打ち切られていたピニンファリーナにとって、この協業は極めて重要なプロジェクトだった。
生産型のブルーカーは、B0コンセプトよりコンパクトな3ドアハッチバックとなった。ボディー外板にはステンレスを採用。いってみれば「デロリアンDMC-12」と一緒であった。
しかし意外な壁に直面した。当初の量産計画では(アルファ・ロメオの「ブレラ」および「スパイダー」を受託生産していた)サンジョルジョ・カナヴェーゼ工場を充てる予定だったが、経営悪化に伴って施設の売却を余儀なくされたのだ。
代わりに2011年3月、プロトタイプ製作を手がけるエンジニアリング企業のチェコンプと契約し、トリノ県バイロにある同社の工場でブルーカーを生産することになった。
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「街のスター」の栄光と没落
そして2011年12月、ついにパリでブルーカーを用いたシェアリングサービス「オトリブ」が開始された。それは2007年導入の自転車シェアリングサービス「ヴェリブ」に続くものとして世界から注目された。当時どれだけの識者がこのヴェリブとオトリブを未来の都市交通の理想像として取り上げたことだろう。ブルーカーにとって最も華やかな時期だった。
筆者も翌2012年の本欄第246回でパリからオトリブについて報じ、続く第247回では実際に運転した様子を動画でリポートしている。
ただし当時も記したように、登録ステーションは無人をうたっているにもかかわらず、実際にはディスプレイを通じてオペレーターとの対話が必要だった。車両の開錠には端末から出力される紙製カードを使ういっぽうで、実際の始動にはステアリングコラムにワイヤでぶら下がるキーを使う。今日のシェアリングサービスのように、スマートフォンで多様なオペレーションが可能になる前夜の仕様であったのだ。
サービス開始からわずか半年にもかかわらず、筆者が利用した時には車内がかなり汚れていた。デート用に使えるような清潔感からは程遠く、後年になってもそうした状態は続いた。洗車の頻度が低いとみえて、例のステンレス製ボディーもパリを訪れるたびに汚くなっていった。無人登録ステーションも気がつけば、ホームレスの人が夜泊まったと思われる形跡が見られるようになった。
オトリブは事業としても軌道に乗らず、赤字は増え続けた。ついに約6年半後の2018年6月、パリ市はボロレとの契約解除を決めた。こちらについては、第560回に詳しい。
以上が、これまで筆者が記してきたブルーカーに関することである。
中古で販売されていた
ここからは、その後の展開を記そう。
パリと同様に、ボロレが自治体と組んでブルーカーによるカーシェアを2013年に開始したリヨン市や、2014年に開始して200台を稼働させたボルドー市でも、2020年8月末をもって廃止された。
フランスで「ボルヌ」と呼ばれる充電ポールは、他のEVカーシェアリングサービスでも利用できるほか、個人所有のEVやプラグインハイブリッド車でも使える。実際にパリでは、そうした転用が開始されている。
いっぽうでサービス用車両のブルーカーは、中古車として民間への売却が始まっている。
パリで使われていた3000台のブルーカーは、当初はその大半が廃棄される予定だったが、2019年7月10日付『ヴァンミヌートゥ紙電子版』によると、ブルターニュの業者が600台を引き取っている。
筆者が調べてみると、その業者とはコダンにあるオトピュズというEVの中古車を得意とする販売店だった。本稿執筆時点でも2015年式・走行7万kmの旧オトリブ用ブルーカーが4990ユーロ(約64万円)で販売されている。
参考までに同店は、ボロレが民間用EVとして新車販売、または長期リースしたブルーカーの中古も扱っている。そちらが約6500~8000ユーロ台であることからすると、やはり旧オトリブの車両は安く設定されている。
リヨンの場合、オトリブで使われていたブルーカーは、サービス終了後にインターネットで販売された。その平均走行距離は5万km程度で、価格は5000ユーロだ。地元メディアは「破格」と報じている。
ブルターニュ地方に住む知人に確認してみたところ、いまだにブルーカーを見たことがないという。だが、一部メディアは高齢ドライバーの街乗り用に人気があると報じている。ボロレの公称では航続可能距離は市街地で250km、郊外で150kmとされるから、そうした用途には十分なのだろう。
販売業者は、専用ケーブルさえあればフランス一般家庭の220V電源でも充電可能であることもアピールしている。
ただし、これまた別のフランス系メディアによると、ブルーカーのリチウム金属ポリマー電池を正常に機能させるためには、温度を常に60度~80度に保たなければならない。そのためには定期的な通電が必須で、そうしないと2~3日後には放電し切ってしまうことを考慮すべきと指摘している。
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ブルーカーの最期に
ところで、冒頭で記したトリノのブルーカーは何だったのだろうか。
今回の執筆を機会に調べてみると、トリノでもボロレによって2016年10月に「ブルートリノ」の名称でEVシェアリングが開始されていた。この地のブルーカーは、そのためだったのである。
ちなみに同年6月には、ポピュリズム政党「五つ星運動」から出馬したキアラ・アッペンディーノ市長が当選している。環境政策を進める彼女にとっても好材料となった。
しかしトリノでも不振続きで、2019年の赤字額は1500万ユーロ(約19億円)に達してしまった。
そして2021年12月、ブルートリノ事業は冒頭のFCA系企業、リーシスに売却されたのだった。
すなわち新型500のシェアリングは、撤退するブルーカーの代わりだったのである。市内にある430カ所の充電ステーションと500カ所以上の専用駐車スペースは、リーシスが継承することになった。
そして先日、2021年2月12日にブルートリノはサービスを終了した。存続期間はわずか5年だったことになる。
トリノのカーシェア利用者を対象にしたリサーチによると、1000人あたり自家用車保有台数は2015年には479台だったが、2019年には489台と、2.2%の増加となった。調査したトリノ工科大学は「カーシェアは新車購入を遅らせる効果はあるが、それを抑止する効果はない」としている(出典:『イル・モーレ24』2020年8月3日版)。
ボロレとピニンファリーナによるブルーカーの生産契約は2022年12月までだったが、3年前倒しで2019年に解消された。それを受けるかたちで2020年、バイロの工場も操業を終えた。今後同拠点では、ピニンファリーナが同年に技術協力に関する覚書を交わした中国・韓国系企業である松果(ソングォー)のEV生産拠点となる予定だ。
こうしてブルーカーは、事実上幕を閉じた。
すでに本欄で記した繰り返しになるが、失敗の背景には、政治力を武器に採算性を考えぬままカーシェア事業に進出したボロレと、それを安易に受容した自治体との関係があったことは明らかだ。
個人的にもブルーカーにはさまざまな思いを抱いてきたが、ふと浮かんだのは、学生時代からの愛読書である永井荷風の1931年作品『つゆのあとさき』だ。東京・銀座で働くカッフェーの「女給」である君江にまつわる物語である。
客として登場する男たちは、奔放な人生を送る君江に愛憎の念を含め、さまざま思いを抱く。
筆者が考えるに、自家用車を配偶者とすれば、次々とさまざまな乗り手に仕えるシェアリング自動車は、今風に言えば接待を伴うサービス業の従事者である。
だから浮世の荒波にもまれながら、さまざまな男に抱かれてきた君江と、時代に翻弄(ほんろう)されたブルーカーが頭の中で重なった。
しかし、物語終盤になって現れる「おじさん」こと、川島という男だけは他の男たちと違っていた。かつて君江が実家を飛び出してきたころに世話をした彼は、ある日偶然彼女と出会った夜、部屋に誘われるも情欲に溺れることなく、ひたすら昔の思い出を語り続ける。
筆者に中古ブルーカーを“身請け”する勇気はない。だが生まれながらにして不特定の人に仕える運命を背負った、類いまれなるクルマの一部始終を知ったあととなっては、他車とは別の感慨をもって接するしかない。まさに「おじさん」の心境になって著したのが、今回の一文である。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、リーシス、松果/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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