第105回:資本主義のうねりを生んだ「T型フォード」
20世紀の社会を変えた大量生産と大量消費
2021.07.21
自動車ヒストリー
世界初の大量生産車となり、累計で1500万台以上が販売された「T型フォード」。このクルマとヘンリー・フォードが世にもたらしたのは、モータリゼーションだけではなかった。自動車を軸にした社会の変革と、資本主義の萌芽(ほうが)を振り返る。
ヘンリー・フォードの夢
ヘンリー・フォードには夢があった。それは、農民のために誰もが乗れる安価な自動車をつくることである。彼の生まれたディアボーンは、デトロイトの南西15kmにある牧歌的な農村だった。鉄道は通っておらず、移動手段といえば荷馬車だけ。人々は生涯ずっとこの場所にとどまり、自給自足に近い暮らしを送る。自動車が手に入るようになれば、彼らの人生は一変するに違いない。
ヘンリーは1896年に初めてガソリン自動車を製作した。その後自動車会社を創業するがうまくいかず、新たにフォード・モーター・カンパニーを設立したのは1903年のことである。それでも、すぐに農民のためのクルマをつくり始めたわけではない。当時は自動車といえば高級品で、量産大衆車は1901年に425台が生産された「オールズモビル・カーブドダッシュ」があったくらいだ。フォードにとって転機となったのは、1906年にリリースした「N型」である。500ドルで販売された簡易なモデルは好評で、これをベースにしてT型はつくられた。
1908年に発売されたT型は850ドルという価格で、翌年には一年間で1万台以上を売り上げた。当時のアメリカ全体の自動車生産台数が7万台程度だったことを考えると、単一車種の売り上げとしては驚異的な数字である。1910年にはハイランドパークに工場を新設し、量産体制を整えていった。
多くの自動車に2000ドル以上の値札が付けられていた時代に、T型の価格は魅力的だった。アメリカ人の平均年収は600ドルほどで、富裕層でなくともなんとか手の届く値段だったのである。安いからといって、つくりが悪いわけではない。ボディーには高張力のバナジウム鋼を使用し、強度の確保と軽量化を実現していた。トランスミッションは遊星歯車を使った半自動方式で、初心者でも簡単に操作することができる。エンジンは優秀な鋳物技術を生かして4気筒一体型となっており、頑丈であると同時に生産性も高かった。点火方式は、最新のマグネトー式である。
ベルトコンベヤーで大量生産を実現
手ごろな価格で人気を博したT型だが、農民が手の届くクルマにするためには、もっと値段を下げる必要がある。そのためには、生産の効率化を進めなければならない。フォードは他のモデルを廃止して会社の生産能力をT型に集中させ、大量生産に向けた準備を進めた。1913年、画期的な生産方式が取り入れられる。ベルトコンベヤーを使った流れ作業を始めたのだ。
最初に流れ作業が導入されたのは、フライホイールマグネットの製作である。それまでは熟練工が一人で仕上げていたが、これを29の工程に分解し、29人で作業を分担するようにしたのだ。作業効率の向上は明らかで、ひとつ仕上げるのに20分かかっていたところが5分で済むようになったという。シャシー組み立てに応用すると、より効果は絶大だった。一台に13~14時間かかっていた作業時間が、1時間半にまで短縮されたのだ。もはや熟練工は必要ない。工程を分ければ、技術を学ばなくても作業ができる。細分化すればするほど、おのおのの作業は単純になるということで、T型の組み立てには実に7882もの職種があったという。英語を理解できない労働者も多かったが、それでも問題なく組み立てを行うことができた。
しかし、熟練工からは改革に不満の声が上がっていた。フォードは問題を解消するべく、労働者の待遇改善を決断する。労働時間を9時間から8時間に短縮し、2.5ドルだった日給を倍の5ドルに引き上げたのだ。常識破りの高給に、ハイランドパーク工場には就職希望者が殺到した。ただ、単調な労働は苦痛を伴うもので、離職率は高かった。5ドルに昇給するのは就職して半年後であり、それを待たずして辞めてしまう者も多かったという。3カ月もたつと、労働者がほとんど入れ替わってしまうほどだった。
一方で、生産の効率化は休むことなく続けられた。1914年からはボディーカラーを黒に統一。黒い塗料は最も乾きが早く、製造時間を短縮できたのである。さらにフォードは、すべての工程を自社で行うために、垂直統合を志向した。T型の生産に役立つということで、鉱山業、鉱石運搬業、鉄鋼業なども始めたのだ。タイヤ用のゴムも自社で生産しようと、農園開発にまで手を伸ばした。
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累計生産台数は1500万7033台
T型は圧倒的な売れ行きを示し、1921年には累計生産台数が500万台に達した。アメリカ国内でのシェアは、55.45%という驚くべき数字である。全世界で見ても、つくられる自動車の半数がT型という計算だ。効率化とスケールメリットで価格を下げることが可能になり、1922年には最廉価版が265ドルになった。
T型の生産台数は1923年にピークを迎えた。年間で200万5000台が生産されたのである。しかし、その後は少しずつ、この数は減少していく。
T型の牙城を崩すため、ゼネラルモーターズはシボレーで攻勢に出た。発売から年を経て古くさくなっていったT型に対し、モデルチェンジを繰り返して新機軸を取り入れていったのだ。自動車の大量生産は飛躍的に進み、1925年にはアメリカ全体で426万6000台が生産された。自動車保有台数は2000万台を超えようとしていた。自動車はすでに高根の花ではなく、なくてはならない必需品となっていたのだ。安ければユーザーが飛びつくという時期は過ぎ、他人と違うクルマを持ちたいという欲望が生まれ始めていた。
購入できる層には自動車が行き渡り、主流は買い替え需要に移行する。ユーザーはデザインにおいてもメカニズムにおいても、より進歩したモデルを欲した。彼らにとって、毎年変化していくシボレーが魅力的に映ったのは当然だろう。大量生産と大量消費が前提となる世界では、人々の欲望のあり方も変わっていく。
それでも、フォードはT型こそが理想のクルマであるという信念を持ち続けた。新型車を求める声を、無視したのである。売れ行きが鈍ると、生産を効率化することで乗り切ろうとした。農民にクルマを与えるという理想は忘れられ、いつの間にか効率化自体が目的となっていた。
1927年5月31日、フォードは突然T型の生産を終了する。累計生産台数は1500万7033台だった。T型に替わる新型車は用意されておらず、新たな「A型」が発売されるのは約半年後のことである。その間にフォードから販売台数1位の座を奪ったのは、シボレーだった。
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労働者もクルマを買えるように
フォードはT型で自動車産業を変えた。作業工程を標準化して大量生産を可能にし、上流階級のものだった自動車を一般大衆に普及させた。T型フォードによって、アメリカのモータリゼーションが進んだのである。労働者に高賃金を与えたことで、彼らも自動車を購入できるようになった。
フォードで働く社員は、1909年にはT型を買うために22カ月にわたり賃金をためる必要があった。それが、クルマの価格が下がり、賃金が上昇したことで、1925年にはわずか3カ月働くだけでT型を購入できるようになる。労働者は生産者であると同時に、消費者でもある。大量生産は大量消費がなければ成立せず、購買力の増大は資本主義の高度化にとって必須の条件だった。
T型の生産が始まった20世紀初頭、自動車はまだ交通手段として確立されてはいなかった。一過性のものと考える人が多く、将来性には疑問符が付けられていた。また蒸気自動車や電気自動車も競争力を保っており、自動車が普及するにしても、どの動力が勝利するのかは不明だったのである。T型が圧倒的に販売を伸ばしたことで、ガソリン自動車の優位は盤石となったのだ。
T型は農村にも普及し、ヘンリーの夢は実現した。モビリティーが確保されたことで、農民も都市生活者と同じような近代的な生活を楽しむことができるようになった。だからこそ、ヘンリーはT型こそが完全無欠な自動車だと信じ込んでしまった。成功体験に拘泥したことで、自らが火をつけた消費者の欲望の巨大化に気づくことができなかったのだ。
皮肉な成り行きではあったが、フォードが変えた社会の構造はヨーロッパにも波及する。さらには、第2次大戦後の日本にも影響を及ぼすことになった。T型フォードという一台のクルマが、20世紀を通じて展開されるグローバルな資本主義のうねりをつくり出したのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦剛)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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