第61回:風と共に走れ!
オープンカーの歴史とマツダ・ロードスター
2019.10.31
自動車ヒストリー
長らく続いた“オープンカー冬の時代”に終止符を打ち、風と共に走る喜びを世界に思い出させたのがマツダだった。オープンエアモータリングの心地よさを追求したオープンカーの歴史と、「ユーノス/マツダ・ロードスター」の功績を振り返る。
軽快な走りが身上のオープンモデル
1989年に発売されたユーノス・ロードスターは、マツダにとって大きな賭けとなる製品だった。オープンカー市場は世界中で長い間休眠状態にあり、成功する確率は低いと思われていたのだ。バブル景気まっただ中の日本で主流だったのは高級セダンで、快適な密閉空間を持たないオープンカーは、トレンドから外れた存在だった。どのメーカーも手を出さないジャンルに、マツダはわざわざコンパクトFRのプラットフォームをつくって野心的なモデルを送り込んだのである。
当時の小型スポーツカーは、FF車用のコンポーネントをそのまま使うか、前後を逆にしてミドシップに仕立てるのが常識的な手法だった。しかし、マツダは素直なハンドリングを第一に考え、FRにこだわった。エンジンは自然吸気の1.6リッター直列4気筒で、5段マニュアルトランスミッションが組み合わされていた。5ナンバーサイズのコンパクトなボディーで、車重がおよそ1t。軽量ボディーに小さなエンジンを載せ、なにより軽快なハンドリングを楽しむクルマだった。
このコンセプトにはお手本があった。ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツと呼ばれる一連のモデルである。
アメリカ軍の兵士を魅了したMGA
黎明(れいめい)期の自動車には屋根がなく、フロントウィンドウすら付属しなかった。当時のクルマは馬車からボディー形式を受け継いでおり、スピードが低いうちは、それでも問題は生じなかったのだ。エンジンの性能が上がると、風を防いで視界を確保しなければならなくなる。20世紀に入るとガラス製の風防が普及し、側面や後方にもガラス窓を装備したクローズドボディーが広まっていった。一部の富裕層向けのスポーツカーを除くと、自動車は実用的な移動手段として進化していった。
第2次世界大戦が終わって復興が進むと、自動車に“乗る楽しみ”が広く求められるようになる。そこで注目されたのが、MGの「ミジェット」シリーズをはじめとするイギリスの小型オープン2シーターだった。特に人気を博したのが、1955年に登場した「MGA」である。MGは戦前からの自動車会社で、戦後はBMCグループの一員としてスポーツカーを生産した。その第1弾となったのがMGAだった。戦前のモデルから引き継いだラダーフレームにモダンなデザインのボディーを架装したもので、クーペとオープンの2種類があった。イギリスに駐留していたアメリカ軍兵士は、この軽快なオープンカーに魅了される。MGAは左ハンドルに仕立てられ、およそ10万台の生産台数のうち、およそ半分が北米に輸出された。
1958年には「オースチン・ヒーレー・スプライト」がデビューし、1961年に兄弟車の「MGミジェット」が発売される。1962年には、「MGB」と「ロータス・エラン」という、高性能なモデルが登場した。ライトウェイトスポーツというジャンルは欧米のクルマ好きを魅了し、中でもオープンモデルの人気が高まっていった。イギリスから生まれたトレンドは、世界的な潮流となる。
日本では、1962年に「ダットサン・フェアレディ1500」が登場した。「スポーツ1000」から発展した本格的なオープンスポーツで、北米でも人気を博す。ホンダは1963年に「S500」を発売し、四輪自動車に本格参入。ヨーロッパでも販売され、本家のイギリス製オープンカーを上回る性能だと高評価を得た。
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マツダの成功でフォロワーが続出
1960年代に脚光を浴びたオープンカーだが、1970年代後半になると次第に存在感が薄れていく。安全性や快適性に疑問が投げかけられたことに加え、2度のオイルショックによってスポーツカーの需要がしぼみ、派手なオープンカーはなおさら時代と合わなくなっていった。排ガス対策に明け暮れる時期を経た後、待っていたのはパワーと内外装の豪華さを競う時代である。潮流から外れたオープンカーは、メーカーにとっても優先順位が低くなっていた。
そうして、世界的にコンパクトなオープン2シーターが姿を消したころに、ユーノス・ロードスターは登場したのだ。同じ1989年に発売されたトヨタの初代「セルシオ(レクサスLS400)」と日産の「スカイラインGT-R(R32)」は世界に衝撃を与えたが、ロードスターもこの2台に劣らないインパクトを持っていた。飛び抜けた性能もなければゴージャスなつくりでもなかったが、新鮮なコンセプトが驚きを与えたのである。
ロードスターは、マツダの予測をはるかに超える売れ行きを示した。発売は9月だったが、年内に1万台近くを売り上げる。国外では「マツダMX-5ミアータ」の名で輸出され、翌年の世界販売台数は10万台に迫った。2000年には累計生産台数が53万1890台に達し、「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネスブックに認定される。2016年には累計100万台を達成した。
この成功を見て、世界中の自動車メーカーが後を追った。ほとんど死滅したかのように思われていたコンパクトなオープンカーというジャンルが、豊かな可能性を持っていることに気づいたのである。クルマを意のままに操り、風と一緒になって走る爽快感は、自動車本来の根源的な魅力なのだ。「BMW Z3」、「ローバーMGF」、「フィアット・バルケッタ」などのライトウェイトスポーツが続々とデビューした。上級クラスでも、「メルセデス・ベンツSLK」や「ポルシェ・ボクスター」などが登場する。軽自動車の世界では「ホンダ・ビート」や「スズキ・カプチーノ」が生まれた。
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ゴージャスで華やかな高級オープンカー
ユーノス・ロードスターという名称は、名前がそのままクルマの形を物語っていた。ロードスターというのはオープンカーを表す言葉で、主にイギリスで用いられる。イギリスではほかにドロップヘッドクーペと言う場合もあり、アメリカではコンバーチブルと呼ばれることが多い。カブリオレは馬車由来の名称で、ロードスターに比べてしっかりとした幌(ほろ)を持っているイメージだ。イタリアでは、スパイダーやバルケッタの名が使われる。
オープンカーはライトウェイトスポーツに限られるわけではなく、大型高級車ではゴージャスさと華やかさをまとう。1950年代の「キャデラック・コンバーチブル」などが代表的な存在だ。「メルセデス・ベンツSL」も、高級オープンカーの典型といっていいだろう。簡易型の幌であることが多いロードスターに対し、コンバーチブルやカブリオレの場合は分厚い素材を使った耐候性に優れる幌を使うのが普通だ。さらに頑丈な屋根を持つのが、クーペ・カブリオレである。
バリオルーフやリトラクタブルハードトップなどとも呼ばれる機構で、布ではなく金属やFRPでできた格納式ハードトップを備える。オープンカーの開放感とクーペの堅牢(けんろう)性や静粛性を両立させているわけだ。1996年に登場したメルセデス・ベンツSLKはユーノス・ロードスターのフォロワーではあるが、この機構によって新たな魅力を備えていた。好評を受け、2001年には上級モデルの「SL」にもバリオルーフが採用されている。
開放感と堅牢性を両立したクーペ・カブリオレ
同じ2001年に、もっと安価なモデルもデビューした。「プジョー206」に追加された「CC」で、まさにクーペ・カブリオレのイニシャルを車名としている。日本では275万円という価格も功を奏し、割り当てられた700台があっという間に売り切れるほどの人気となった。これをSLKの廉価版だと考えるのは間違いだ。むしろ、こちらのほうが元祖である。
そもそもクーペ・カブリオレを発明したのはフランス人であり、自動車デザイナーのジョルジュ・ポーランが自動格納式のルーフを考案して特許を取得したのに端を発する。プジョーはこの機構に興味を示し、1934年に「601」「401」「301」に採用してニューモデルとして発表した。これらのモデルは、「エクリプス」と名付けられている。日食を意味する言葉で、光をさえぎる仕組みを象徴的に表現したものだ。
画期的なアイデアだったが、この格納式ルーフは普及しなかった。こうしたオープンカーは、セダンやクーペと比べてボディー剛性を確保するのが難しく、補強のために重量が増加してしまう。格納式ルーフは複雑な機構を持ち、さらに重くならざるを得ない。オープン時にはルーフはトランクに収めることになり、収納スペースが奪われる。十分な実用性を備えたモデルとなったのは、メルセデス・ベンツSLKが初めてだった。
2002年には、電動式ルーフを備えた軽自動車の「ダイハツ・コペン」が登場した。プジョーとメルセデスはクーペ・カブリオレのモデルをその後も製造しており、ルノー、BMW、フェラーリなど多くの自動車メーカーがこのタイプのオープンカーをラインナップに加えている。マツダは2015年5月に4代目となるロードスターを発売し、好調に販売台数を伸ばしている。オープンエアモータリングは、今もクルマの楽しさのエッセンスであり続けているのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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