第96回:ミニクーパーの快進撃
バックヤードから生まれた英国の自動車文化
2021.03.17
自動車ヒストリー
小さなボディーの利を生かし、ラリーやサーキットレースで大活躍した「ミニクーパー」。このクルマを輩出したのは、ジョン・クーパーと彼の営む小さなバックヤードビルダーだった。イギリスの自動車文化が促した、レースカーとスポーツカーの革新を振り返る。
ファンの間で広がっていた誤解
日本は「ミニ」が例外的に多く販売された国である。現在のBMW版も好調だが、1959年にデビューした“クラシックミニ”の人気は目覚ましいものがあった。モデル末期の1990年代になっても毎年1万台近くが輸入されていて、その半分ほどは「クーパー」モデルだったという。高性能版で値段も高かったにもかかわらず、ミニといえばクーパーというのが常識になっていた。その原因のひとつは、ミニというクルマの名がいささか誤って受け取られていたことにある。
ミニは形のかわいらしさから若い女性の人気が高く、好きなクルマを問われて「ミニクーパー!」と答える芸能人も多かった。ファッション性で選ばれた結果、ユーザーのかなりの部分をクルマに詳しくない人々が占めることになった。彼らはクーパーが車名だと勘違いし、ミニクーパーとは“小さなクーパー”という意味だと解釈していたのだ。もちろん事実は反対で、ミニが車名である。アレック・イシゴニスが開発した革命的小型車がミニであり、それをチューニングしてレースやラリーで活躍させた人物こそがジョン・クーパーなのだ。
イギリスにはロールス・ロイス、ジャガーといった高級車を製造する自動車メーカーがあった。一方で、ミニを開発したのは大衆車を得意とするブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)である。オースチンやナッフィールドが合併してできた大企業だ。魅力的な小型車を生産し、イギリスのモータリゼーションを進めるのに大きな役割を果たした。
これらの大メーカーとは別にイギリスの自動車文化を育てたのが、もっと小規模な自動車工場群だった。バックヤードビルダーである。
“裏庭工場”が促したフォーミュラカーの革新
バックヤードビルダーとは、直訳すれば“裏庭工場”。イギリスには家の裏庭にあるガレージのような狭いスペースで、職人が手づくりでクルマを組み立てる伝統があったのだ。
また自動車を“キットカー”の形で購入するユーザーも珍しくなかった。完成品ではなくパーツを受け取って、最終的な組み立ては自分で行うのだ。先ほど述べた小規模メーカーに加え、彼らのことをバックヤードビルダーと呼ぶこともある。都会で働いていた人が引退後に郊外に移り住み、ガレージでこつこつクルマいじりをするのは、現在でもよく見られる光景だ。
ミニクーパーを輩出したジョン・クーパーと、彼のクーパー・カー・カンパニーもまた、そうしたバックヤードビルダーだった。
1946年、ジョン・クーパーは父のチャールズとともにクーパー・カー・カンパニーを設立する。小規模な会社で、ボクスホールのディーラーをしながらレーシングカーを製作していた。まさに典型的なバックヤードビルダーである。この小さな工場が、後にレースと乗用車の両方で大きな変革を成し遂げることになる。
最初の製品となったミドシップのフォーミュラカー「クーパー500」は、数々のレースに出場して好成績を残した。ジョン自らも参戦し、ブライトン・スピードトライアルでは同じくドライバーとして出ていたイシゴニスに出会っている。そこで意気投合したことが、後にふたりの共同作業につながっていった。
クーパー500での成功に自信を得たクーパーは、1957年にF1への本格参戦を果たす。コヴェントリー・クライマックス製のエンジンはライバルに比べてパワーが劣り、戦闘力が低かったが、彼らはクーパー500で得た知見で不利を克服した。FR方式、すなわちエンジンをフロントに置いてリアタイヤを駆動するのが常識だった当時のF1に、ミドシップで挑んだのだ。
メーカーを動かしたクーパーの熱意
車体のほぼ中央に最大の重量物を置くミドシップレイアウトは操縦性に優れ、クーパーは参戦2年目の1958年に早くも初勝利を飾る。1959年と1960年にはジャック・ブラバムのドライブでコンストラクターズとドライバーズの両タイトルを連続して獲得し、実力を見せつけた。1958年に「これからもリアエンジンのグランプリマシンをつくることはない」と直接ジョン・クーパーに話していたエンツォ・フェラーリも、しばらくして考えを改めた。彼らの成功はF1のみならずインディカー・シリーズにも影響が及び、「ミドシップ革命」と呼ばれることになった。
一方、サーキットの外では、1959年夏にミニが「オースチン・セブン/モーリス・ミニ マイナー」という名でデビューする。クーパーとともにF1などで活躍していたレーサーたちは、日常のクルマとしてミニを歓迎した。チームの契約ドライバーだったジャック・ブラバムとブルース・マクラーレンは、発売直後からミニに乗っていた。スピードを求める彼らがパワーアップを要求したのは当然だろう。クーパーはフォーミュラ・ジュニア用のパーツを組み込むことでそれに応える。当初イシゴニスはミニでレースをすることに懐疑的だったといわれるが、クーパーの熱意に次第に動かされていった。
彼らはふたりでBMCの社長ジョージ・ハリマンに会いにいった。許可を得て2週間後にプロトタイプをつくり上げ、再びハリマンのもとに赴く。試乗するとハリマンはポテンシャルの高さを確信し、即座にこのモデルの生産に同意。ラリーでホモロゲートを受けられる1000台の生産にゴーサインを出した。
ミニの高性能化に際し、クーパーがまず取りかかったのはエンジンのパワーアップだった。排気量を848ccから997ccに拡大することで、ノーマルの34馬力から55馬力へと大幅な出力向上を実現。同時にそのパワーを受け止めるため、フロントにはディスクブレーキが採用された。
大衆車がスポーツサルーンに
ミニはスタンダードモデルでもラリーに出場しており、1959年の11月にローカルなイベントで優勝を果たしている。誰も期待していなかったわりには可能性を見せたことになるが、ノーマルでは限界があり、その後は結果を残せていなかった。
1961年にミニクーパーが登場すると、状況は一変する。1962年の5月、チューリップ・ラリーに出場したミニクーパーは、1000ccクラスで1位から8位を独占するという大勝利を収めたのだ。モンテカルロ・ラリーやアルペン・ラリーなどでも好成績を残すようになり、ラリー界でのミニの名声は高まっていった。
サーキットのレースでも、ミニクーパーの快進撃が始まる。サルーンカーレースではるかに排気量の大きいクルマと堂々と渡り合い、時に勝利を得た。ラリーやレースでの活躍は販売にも好影響を与え、輸出台数も伸びていく。ミニは石油危機を背景として生まれた実用的な小型大衆車だったが、クーパーの手によって素晴らしいスポーツサルーンへと変貌を遂げたのだ。
ミニは、他のバックヤードビルダーにとっても格好の素材となった。マーコスはミニをベースにしてFRPボディーを架装した軽量なマシンをつくり、ルマン24時間レースに出場している。この「ミニ・マーコス」は世界中に名が知られるようになり、日本にも輸入されていた。
クーパーのようにかつて名声をはせたファクトリーの多くは、現在では消滅してしまった。F1のコンストラクターにもその名を見ることはできない。外資に買収されたケースもあり、クーパーと同様にバックヤードビルダーから出発したロータスは、現在では中国の吉利汽車の傘下に入っている。それでもロータスはスポーツカーメーカーとして存在感を示しており、2021年1月にはニューモデル「タイプ131」のプロジェクトを発表した。バックヤードビルダーが培った豊かなイギリス車の文化は、次世代へと受け継がれていく。
(文=webCG/イラスト=日野浦剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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