第92回:ルマンを席巻したポルシェ
技術者集団の挑戦と栄光
2021.01.20
自動車ヒストリー
ルマン24時間レースで最多勝を誇るポルシェ。シュトゥットガルトの技術者集団は、いかなる戦いを経て耐久レースの王者となったのか? 「917」や「936」「956」「962C」といったレーシングカーとともに、サーキットに刻まれたポルシェの足跡をたどる。
創設直後に始まったルマンへの挑戦
新型コロナウイルスの影響で、3カ月遅れの9月に開催された2020年のルマン24時間レースは、TOYOTA GAZOO Racingが優勝。トヨタは3連覇を果たした。2000年代に入ってからはアウディがルマンの覇権を握っていたが、2015年からはポルシェが3連勝。一時は日独自動車メーカーによる三つどもえの戦いが繰り広げられていたが、現在では最上位カテゴリーのLMP1に参戦するメーカー系チームは、トヨタだけとなっている。
ポルシェが2017年シーズンでルマン24時間レースでの活動終了を発表すると、落胆の声が上がった。1923年から始まるルマンの長い歴史を見渡してみると、ポルシェの存在感は圧倒的なものだった。勝利数はアウディの13回を上回る18回で、もちろん歴代1位である。
草創期のルマンで最初に覇権を握ったのはベントレーだった。第1回大会からファクトリーチームの“ベントレー・ボーイズ”が参戦し、4連勝を含む5勝を挙げている。ベントレーが資金難で破綻すると、代わってアルファ・ロメオが台頭。名車の誉れ高い「8C2300」で1931年から4連勝を果たす。第2次大戦による中断後はフェラーリとジャガー、メルセデス・ベンツが競い合った。
1960年代に入るとフェラーリの独走状態になったが、1966年に「フォードGT40」が7連勝を阻止。巨額の資金を投じたフォードは破竹の勢いで、王座は揺るぎないものと思われた。しかし、巨象のすぐ後ろには初の栄冠を目指して激しく追い上げる技術者軍団がいた。ポルシェである。
ポルシェのルマンへの挑戦は、1951年に始まる。ポルシェは1948年に創設されたばかりのスポーツカーメーカーだったが、まだ試作車レベルだった「356SL」をサルト・サーキットに持ち込んだ。エントリーされた2台のうち、1台はレース前のトライアルで起きた事故で失われてしまう。単騎で出場することになったのは、1086ccの水平対向4気筒エンジンをリアに積むアルミニウムボディーのマシンである。
最高出力は45馬力にすぎなかったが、軽量を生かして160km/hまで速度を伸ばすことができた。2人のフランス人によってドライブされた356SLは2840.65kmを走り、751~1100ccのクラスで第1位となる。同じクラスに出走していたメルセデス・ベンツを打ち破ったのだ。総合成績でも20位に入っている。
デビュー戦としては上々の成績だったが、技術者たちは満足していなかった。この年の優勝車「ジャガーCタイプ」は3611.193kmを走破している。目標はあくまでも総合優勝なのだ。栄光に向けて、ポルシェの長い戦いが始まった。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
打倒フォードのために開発された「917」
1953年からはミドシップマシンの「550」が投入された。翌年には待望の1.5リッターDOHCエンジンが搭載され、戦闘力を高めていく。小排気量クラスで毎年のように優勝する実力を確立したポルシェは、フェラーリとフォードの対決が注目される中で「904」「906」などのレーシングカーを開発し、総合でも上位入賞の常連となる。1964年に市販が開始されたロードゴーイングカーの「911」も、2年後にはサーキットに姿を現した。
FIAの車両規定の変更に対応し、ポルシェはプロトタイプレーシングカーを続々と登場させた。1968年にグループ6の排気量が3リッターに拡大されると、前年の「907」を改良したシャシーに水平対向8気筒エンジンを搭載した「908」を参戦させる。しかし、5リッターまでのエンジンを使えるグループ4のフォードGT40には歯がたたなかった。
猛威をふるうフォードを倒すための切り札が「917」である。開発期間はわずか10カ月だった。新たな武器は、908の8気筒エンジンに4気筒を加えた12気筒4.5リッターエンジンである。ポルシェの空冷エンジンはシリンダーがそれぞれ独立したモジュール構造で、比較的簡単に気筒数を変えることができた。ただ、8気筒がボクサータイプだったのに対し、12気筒エンジンは180度V12型の形式に変更されている。
ポルシェは1969年のルマンに、4台の917をエントリーし、決勝には3台が残った。プラクティスでは14号車がラップタイム3分22秒9、平均速度238.97km/hというレコードをたたき出す。レースへの期待が高まるが、1周目に悲惨な事故が起きてしまう。10号車がメゾン・ブランシュを曲がりきれずにクラッシュし、ドライバーが死亡したのだ。
14号車は最初の1時間をトップで走ったものの、オイル漏れを起こして15時間目にリタイア。その後トップに立った12号車も20時間目に止まってしまう。優勝したのはジャッキー・イクスが乗ったフォードGT40である。ただ、ポルシェには一筋の光明が見えた。2位に入ったのはカーナンバー64の908だったのだ。フォードとの差はわずか130m。旧型マシンで健闘したことは、917の信頼性を高めれば勝利をつかむことができるという確信を抱かせた。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
初挑戦から20年で頂点に
1970年のルマンにフォードGT40は1台も参加していない。そもそも、1968年からルマンにフォードの姿はなかった。レギュレーションの変更を嫌って、ワークス体制での参戦を終了していたのだ。それからはプライベーターがGT40を運用していたのだが、それも1969年が最後となった。
時代は大きく変わっており、1970年に出走した51台のうち、実に24台がポルシェだった。GTSクラスには11台の911だけでなく、「914/6」も1台エントリーしている。917は7台で、うち3台は600馬力の4.9リッターエンジンを搭載したマシンだった。
必勝を期し、3台の917がワイヤー・オートモーティブに託された。前年までフォードGT40でレースに参戦していた、ジョン・ワイヤーの率いるチームである。デイトナ24時間レースではワンツーフィニッシュを決めており、勝利は間違いないと思われた。しかし、12時間目までに3台すべてがリタイアを喫してしまう。
この年のルマンは、ひどい悪天候に見舞われた。ユノディエールでも真っすぐ走れない状態で、次々に有力なマシンがレースを去っていく。ジャッキー・イクスの乗る「フェラーリ512S」も早々に姿を消した。ゴールできたのはわずか7台で、完走率はルマン史上最低の13.7%。そのうちの5台がポルシェである。優勝したのは、赤と白に塗り分けられたカーナンバー23。ザルツブルグチームからエントリーしたマシンだった。2位にも917、3位には908が入り、ポルシェは表彰台を独占した。
初挑戦から20年を経て、ポルシェは頂点に上り詰めた。1971年も917の戦闘力は飛び抜けていて、1位と2位を獲得する。3位のフェラーリとの差は29周だった。走行距離は5335.313kmで、その後コースが改修されたこともあって記録は39年間破られなかった。ポルシェの黄金時代が到来するはずだったが、1972年のルマンに917はエントリーしていない。車両規定が変わってエンジンは3リッター以下と決められたからだ。
ポルシェが強すぎると、レースへの興味が失われてしまう。多くの観客を集めたい主催者は、マシンの実力が拮抗(きっこう)することを望むのだ。ルマンへの道を閉ざされた917は活路を海の向こうへ求める。ポルシェはかねて参戦していたカナディアン-アメリカン・チャレンジカップにターボチャージャー付きの917を投入し、2年連続でチャンピオンを獲得。これを最後に、917はレース活動を終えた。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
80年代最強を誇った「956」と「962C」
ポルシェがルマンで再び勝利を挙げたのは1976年である。ターボ時代が始まろうとしていた時期で、ポルシェもターボマシンの「936」でレースに挑んだ。1.4の係数がかけられるため、3リッターに収まるよう排気量は2142ccとされた。この年はマルティーニ・レーシングから出走したジャッキー・イクスが危なげない勝利を収める。翌年はイクスの乗った3号車が4時間目にリタイアしたが、彼は4号車に乗り換えて連勝に貢献した。
1980年代はポルシェがルマンを席巻する。1981年から7連勝を達成したのだ。立役者となったのは、1982年にデビューした「956」である。この年から世界耐久選手権がグループC規格で戦われることになった。排気量は無制限だが、燃料使用量に厳しい制限が設けられたのが特徴である。速さだけでなく、燃費性能がレースを左右するわけだ。規定変更に対応してつくられたプロトタイプレーシングカーが956だった。
エンジンには、前年に優勝した936に搭載されていた、935/76型を採用している。1978年から使われていたヘッド水冷方式のDOHCエンジンで、十分な経験が積み重ねられて信頼性は高い。ハイパワーを武器にライバルに対するリードを広げると、過給圧を下げて燃費走行に切り替え、隊列を組んで走行する余裕すらみせた。カーナンバー1番から3番までが順に1位から3位を占め、4位と5位には「935」が入る完勝だった。
1983年は8位までを956が独占し、向かうところ敵なしの強さを見せつける。1985年からは後継モデルの「962C」も投入され、万全の体制を築いた。1988年に連勝記録は途切れるものの、1990年代に入っても多くのプライベートチームが962Cで参戦し、上位入賞を果たしている。1994年に優勝した「962LM」は、962Cの公道バージョンだった。1980年代を席巻したマシンは、長い間トップレベルの性能を保っていたのだ。
レギュレーションが変わっても、ポルシェはルマンの頂点に君臨し続けた。ポルシェの強さは、ワークスチームだけによるものではない。ワークスマシンと同等の性能を持つ956がプライベートチームに供給され、ロードゴーイングカーの911で走ったアマチュアドライバーも多い。世界最高峰のレースを楽しむことができる市販車があるからこそ、ポルシェは無敵を誇ったのである。
(文=webCG/イラスト=日野浦剛)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
-
第105回:資本主義のうねりを生んだ「T型フォード」
20世紀の社会を変えた大量生産と大量消費 2021.7.21 世界初の大量生産車となり、累計で1500万台以上が販売された「T型フォード」。このクルマとヘンリー・フォードが世にもたらしたのは、モータリゼーションだけではなかった。自動車を軸にした社会の変革と、資本主義の萌芽(ほうが)を振り返る。 -
第104回:世界を制覇した“普通のクルマ”
トヨタを支える「カローラ」の開発思想 2021.7.7 日本の大衆車から世界のベストセラーへと成長を遂げた「トヨタ・カローラ」。ライバルとの販売争いを制し、累計販売台数4000万台という記録を打ち立てたその強さの秘密とは? トヨタの飛躍を支え続けた、“小さな巨人”の歴史を振り返る。 -
第103回:アメリカ車の黄金期
繁栄が増進させた大衆の欲望 2021.6.23 巨大なボディーにきらびやかなメッキパーツ、そそり立つテールフィンが、見るものの心を奪った1950年代のアメリカ車。デトロイトの黄金期はいかにして訪れ、そして去っていったのか。自動車が、大国アメリカの豊かさを象徴した時代を振り返る。 -
第102回:「シトロエンDS」の衝撃
先進技術と前衛的デザインが示した自動車の未来 2021.6.9 自動車史に名を残す傑作として名高い「シトロエンDS」。量販モデルでありながら、革新的な技術と前衛的なデザインが取り入れられたこのクルマは、どのような経緯で誕生したのか? 技術主導のメーカーが生んだ、希有(けう)な名車の歴史を振り返る。 -
第101回:スーパーカーの熱狂
子供たちが夢中になった“未来のクルマ” 2021.5.26 エキゾチックなスタイリングと浮世離れしたスペックにより、クルマ好きを熱狂させたスーパーカー。日本を席巻した一大ブームは、いかにして襲来し、去っていったのか。「カウンタック」をはじめとした、ブームの中核を担ったモデルとともに当時を振り返る。
-
NEW
BMWの今後を占う重要プロダクト 「ノイエクラッセX」改め新型「iX3」がデビュー
2025.9.5エディターから一言かねてクルマ好きを騒がせてきたBMWの「ノイエクラッセX」がついにベールを脱いだ。新型「iX3」は、デザインはもちろん、駆動系やインフォテインメントシステムなどがすべて刷新された新時代の電気自動車だ。その中身を解説する。 -
NEW
谷口信輝の新車試乗――BMW X3 M50 xDrive編
2025.9.5webCG Movies世界的な人気車種となっている、BMWのSUV「X3」。その最新型を、レーシングドライバー谷口信輝はどう評価するのか? ワインディングロードを走らせた印象を語ってもらった。 -
NEW
アマゾンが自動車の開発をサポート? 深まるクルマとAIの関係性
2025.9.5デイリーコラムあのアマゾンがAI技術で自動車の開発やサービス提供をサポート? 急速なAIの進化は自動車開発の現場にどのような変化をもたらし、私たちの移動体験をどう変えていくのか? 日本の自動車メーカーの活用例も交えながら、クルマとAIの未来を考察する。 -
新型「ホンダ・プレリュード」発表イベントの会場から
2025.9.4画像・写真本田技研工業は2025年9月4日、新型「プレリュード」を同年9月5日に発売すると発表した。今回のモデルは6代目にあたり、実に24年ぶりの復活となる。東京・渋谷で行われた発表イベントの様子と車両を写真で紹介する。 -
新型「ホンダ・プレリュード」の登場で思い出す歴代モデルが駆け抜けた姿と時代
2025.9.4デイリーコラム24年ぶりにホンダの2ドアクーペ「プレリュード」が復活。ベテランカーマニアには懐かしく、Z世代には新鮮なその名前は、元祖デートカーの代名詞でもあった。昭和と平成の自動車史に大いなる足跡を残したプレリュードの歴史を振り返る。 -
ホンダ・プレリュード プロトタイプ(FF)【試乗記】
2025.9.4試乗記24年の時を経てついに登場した新型「ホンダ・プレリュード」。「シビック タイプR」のシャシーをショートホイールベース化し、そこに自慢の2リッターハイブリッドシステム「e:HEV」を組み合わせた2ドアクーペの走りを、クローズドコースから報告する。