第923回:エルコレ・スパーダ逝去 伝説のデザイナーの足跡を回顧する
2025.08.14 マッキナ あらモーダ!あの日本車の開発にも参画
イタリアの自動車デザイナー、エルコレ・スパーダ氏が2025年8月3日に逝去した。7月26日に88歳の誕生日を迎えたばかりだった。
スパーダ氏は1937年北部ヴァレーゼ県生まれ。職業人としての第一歩は1960年、ミラノ郊外の名門カロッツェリア、ザガートであった。同年にデザイン開発に携わった「アストンマーティンDB4 GTザガート」の製作台数は19台にとどまったが、GTとしてのデザイン的解釈は後年高く評価され、本人の代表作となるばかりか、ザガートの名を国際的にとどろかせるきっかけとなった。1961年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ」、1963年「アルファ・ロメオ・ジュリアTZ」、1969年の「アルファ・ロメオ・ジュニアZ」では、ドイツのヴニバルト・カム教授のコーダトロンカ理論を応用。また、1965年「ランチア・フルヴィア スポルト」のデザインにも携わった。
その後、スパーダ氏はフォード・ヨーロッパを経てBMWに移籍。同社のチーフデザイナーだったクラウス・ルーテ氏のもとで、いずれも1987年の「5シリーズ(E34)」および「7シリーズ(E32)」計画に参画した。
その後イタリアに戻り、トリノのカーデザインファーム「I.DE.Aインスティテュート」に合流。1988年「フィアット・ティーポ」、1990年の「フィアット・テムプラ」、1992年「アルファ・ロメオ155」は、いずれもメーカーに大きな成功をもたらした。また1993年の「ダイハツ・ムーヴ」「日産テラノII(日本名ミストラル)」など、日本メーカーのデザイン開発にも関与した。
1992年ザガートに復帰。「フェラーリ・テスタロッサ」をベースにした1993年「FZ93」などをデザインした。2006年、子息のパオロ氏とともにスタジオ、スパーダコンセプトを設立。2008年に「スパーダ・コーダトロンカ」を発表した。2018年には長年の功績が評価され、トリノ自動車博物館で「マティータ・ドーロ(金のペンシル)」賞を受賞した。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
I.DE.A時代の光と影
ここからは筆者個人による、スパーダ氏とその仕事に対する思いを記したい。
彼のI.DE.A時代、フィアット・オート(当時)はヴィットリオ・ギデッラ社長のもと新車開発に積極的な競技設計、すなわちコンペを実施していた。スパーダ氏の提案は、イタルデザイン、ピニンファリーナ、そして社内スタジオであるチェントロスティーレ・フィアットなどと果敢に戦い、勝ち残った。イタリアの量産車デザインが最後に輝いていた時期であった。当時スパーダ氏の仕事ぶりをリアルタイムで追えたのは、きわめて幸運であったと感じている。
いっぽうで、市場で成功に至らなかった仕事が存在したのも事実である。1998年「ランチア・カッパ」、1993年の「ランチア・デルタ」、そして1998年「アルファ・ロメオ166」がその例だ。ただし、これらはいずれも旧フィアット・オートの商品企画とディレクションの失敗であったといえる。
たとえばカッパのデザインは、豊かさを誇示しない、清楚(せいそ)な高級感というランチア独特の世界を正しく表現していた。デルタも小股の切れ上がったリアスタイルで、先代のスポーティーなイメージを新たな方向で模索していた。166も新時代のアルファ・ロメオの高級ベルリーナ像を、しなやかな躍動感をもって提示していた。だが、ランチアブランドは小型車「イプシロン」に注力しすぎていた。カッパもデルタも高級車としてのプレステージが薄くなったあとでの投入であったのだ。166もドイツ系プレミアムブランド、とくに彼らのステーションワゴン攻勢に、ベルリーナ一本で勝負しなければならなかったのはつらかった。
真の巨匠
実はスパーダ氏は、今日でいうところのエンジニア教育や、現代的な工業デザイナー教育を受けていない。そうした意味では、マルチェッロ・ガンディーニ氏(1938-2024年)や2025年8月7日に87歳を迎えたジョルジェット・ジウジアーロ氏も同じだ。
もちろん、当時のイタリアにはデザイン教育機関が整備されていなかったという背景も承知していなければならない。また、彼らが仕事を始めた当時は、現在と比べて仕向け地ごとの保安基準に適合させる必要性や管理職業務の比重が低かった。したがって、今日自動車デザイナーになるのとはコースが異なっていたのも事実だ。
しかしながら、スパーダ氏が手がけた自動車には、不朽の名作といわれるものが数々存在する。本人の風格にも一般的なデザイナーをはるかに超越したものが認められる。それは音楽界において、かつて三大テノールといわれたルチアーノ・パヴァロッティが、学校方式の音楽教育機関における経歴がないにもかかわらず、世界三大テノールの一人として称賛を得たのに似ている。才能があり、よき雇い主と巡り会えれば道がひらけた、最後の時代といえる。今日のカーデザイン教育がスパーダ氏のような天才を輩出できないのは憂うべきことだ。
またスパーダ氏が、現在ザガートでチーフデザイナーの職にある原田則彦氏という、世界で活躍する日本人デザイナーを見いだしたことも忘れてはいけない。
最後に、スパーダコンセプトの公式サイトに記された、スパーダ氏の言葉を紹介しよう。
「私は、あとで自分がデザイナーであることを知りました。ザガートで働き始めたとき、本当のプロであることでさえ自覚していませんでした。美しいクルマをつくるにはすてきなラインを描くだけでは十分ではないと理解したのは突然のことだったのです。自動車と基盤となるシャシーを熟考し、その枠組みのなかで最大限のことをすべきだったのです」。デザイナーとしての基本中の基本に気づいたことを謙虚に振り返っている。真の巨匠であったことを、そこに思うのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、ステランティス、日産自動車、BMW/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
-
第929回:販売終了後も大人気! 「あのアルファ・ロメオ」が暗示するもの 2025.9.25 何年も前に生産を終えているのに、今でも人気は健在! ちょっと古い“あのアルファ・ロメオ”が、依然イタリアで愛されている理由とは? ちょっと不思議な人気の理由と、それが暗示する今日のクルマづくりの難しさを、イタリア在住の大矢アキオが考察する。
-
第928回:「IAAモビリティー2025」見聞録 ―新デザイン言語、現実派、そしてチャイナパワー― 2025.9.18 ドイツ・ミュンヘンで開催された「IAAモビリティー」を、コラムニストの大矢アキオが取材。欧州屈指の規模を誇る自動車ショーで感じた、トレンドの変化と新たな潮流とは? 進出を強める中国勢の動向は? 会場で感じた欧州の今をリポートする。
-
第927回:ちがうんだってば! 「日本仕様」を理解してもらう難しさ 2025.9.11 欧州で大いに勘違いされている、日本というマーケットの特性や日本人の好み。かの地のメーカーやクリエイターがよかれと思って用意した製品が、“コレジャナイ感”を漂わすこととなるのはなぜか? イタリア在住の記者が、思い出のエピソードを振り返る。
-
第926回:フィアット初の電動三輪多目的車 その客を大切にせよ 2025.9.4 ステランティスが新しい電動三輪車「フィアット・トリス」を発表。イタリアでデザインされ、モロッコで生産される新しいモビリティーが狙う、マーケットと顧客とは? イタリア在住の大矢アキオが、地中海の向こう側にある成長市場の重要性を語る。
-
第925回:やめよう! 「免許持ってないのかよ」ハラスメント 2025.8.28 イタリアでも進んでいるという、若者のクルマ&運転免許離れ。免許を持っていない彼らに対し、私たちはどう接するべきなのか? かの地に住むコラムニストの大矢アキオ氏が、「免許持ってないのかよ」とあざ笑う大人の悪習に物申す。
-
NEW
数字が車名になっているクルマ特集
2025.10.1日刊!名車列伝過去のクルマを振り返ると、しゃれたペットネームではなく、数字を車名に採用しているモデルがたくさんあります。今月は、さまざまなメーカー/ブランドの“数字車名車”を日替わりで紹介します。 -
NEW
カタログ燃費と実燃費に差が出てしまうのはなぜか?
2025.9.30あの多田哲哉のクルマQ&Aカタログに記載されているクルマの燃費と、実際に公道を運転した際の燃費とでは、前者のほうが“いい値”になることが多い。このような差は、どうして生じてしまうのか? 元トヨタのエンジニアである多田哲哉さんに聞いた。 -
NEW
MINIカントリーマンD(FF/7AT)【試乗記】
2025.9.30試乗記大きなボディーと伝統の名称復活に違和感を覚えつつも、モダンで機能的なファミリーカーとしてみればその実力は申し分ない「MINIカントリーマン」。ラインナップでひときわ注目されるディーゼルエンジン搭載モデルに試乗し、人気の秘密を探った。 -
なぜ伝統の名を使うのか? フェラーリの新たな「テスタロッサ」に思うこと
2025.9.29デイリーコラムフェラーリはなぜ、新型のプラグインハイブリッドモデルに、伝説的かつ伝統的な「テスタロッサ」の名前を与えたのか。その背景を、今昔の跳ね馬に詳しいモータージャーナリスト西川 淳が語る。 -
BMW 220dグランクーペMスポーツ(FF/7AT)【試乗記】
2025.9.29試乗記「BMW 2シリーズ グランクーペ」がフルモデルチェンジ。新型を端的に表現するならば「正常進化」がふさわしい。絶妙なボディーサイズはそのままに、最新の装備類によって機能面では大幅なステップアップを果たしている。2リッターディーゼルモデルを試す。 -
ランボルギーニ・ウルスSE(後編)
2025.9.28思考するドライバー 山野哲也の“目”レーシングドライバー山野哲也が「ランボルギーニ・ウルスSE」に試乗。前編ではエンジンとモーターの絶妙な連携を絶賛した山野。後編では車重2.6tにも達する超ヘビー級SUVのハンドリング性能について話を聞いた。