モスに憧れ、チャップマンと出会う

ファンジオと同じ時代に、イギリスの英雄だったのがスターリング・モスだ。1955年にはメルセデスでファンジオのチームメイトにもなっている。実力は折り紙付きで、何度もタイトル争いに絡んだが一度もチャンピオンにはなれず、「無冠の帝王」と呼ばれていた。

スコットランドの田舎町に、そんなモスの活躍を憧れの目で見つめる少年がいた。ジム・クラークである。彼は9歳で父の「オースチン・セブン」を運転し、クルマとレースへの関心を深めていった。地元のローカルなレースやラリーに出場するようになったのも自然な流れだ。

それでも両親は彼がモータースポーツにのめり込むことに反対し、農家の跡取りとして家業に専念することを望んだ。姉は4人いるが、彼がクラーク家唯一の男子だったからである。しかし、仲間内で飛び抜けた才能を示していたクラークには、レース関係者から注目が集まっていった。1959年12月26日、彼はブランズハッチで行われたロータスのテストに参加することになる。

クラークにとっては初めてのコースで、シングルシーターのマシンに乗った経験もなかった。最初のコーナーでコースアウトしたものの、慣れるに従ってペースを上げていく。ついにはワークスドライバーのグラハム・ヒルに迫る好タイムを記録し、走りを見ていたロータスの総帥、コーリン・チャップマンを驚かせた。運命的な出会いである。クラークはチャップマンにレース人生を預けることになり、ヒルとはよきライバル関係を築いていった。

ロータスは1960年のオランダGPに、初のミドシップマシン「18」を3台エントリーさせる。このGPでは、ジョン・サーティースが同じ日に行われた二輪レースに出ることになり、リザーブだったクラークが空いたシートに座った。結果はギアボックスが壊れてのリタイアだったが、一時は5番手を走るなどしてポテンシャルを示した彼は、次のベルギーGPも走ることとなった。

独ホッケンハイムにて、「メルセデス・ベンツ300SLR」(W196S)のテストに臨むスターリング・モス。(1955年)
独ホッケンハイムにて、「メルセデス・ベンツ300SLR」(W196S)のテストに臨むスターリング・モス。(1955年)拡大
1963年と1965年のF1ドライバーズチャンピオンであるジム・クラーク(1936-1968)。驚異的なドライビング技術と、純朴・温厚な性格で敬愛された。
1963年と1965年のF1ドライバーズチャンピオンであるジム・クラーク(1936-1968)。驚異的なドライビング技術と、純朴・温厚な性格で敬愛された。拡大
チーム・ロータスの代表コーリン・チャップマン(左)とクラーク。クラークは、9年にわたるF1のキャリアのすべてをロータスで過ごした。
チーム・ロータスの代表コーリン・チャップマン(左)とクラーク。クラークは、9年にわたるF1のキャリアのすべてをロータスで過ごした。拡大
クラークと同じイギリス人ドライバーのグラハム・ヒル。クラークとは時にチームメイトとして、時にライバルチームのドライバーとして競い合った。
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