これっきりですカー
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第13回:「大誤算」三菱トレディア/コルディア(1982〜88/87)(その2)
一見したところはごくまっとうというか、地味な印象を与える「トレディア/コルディア」だが、内容的には当時の国産小型車としてはなかなか進歩的といえた。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第12回:「大誤算」三菱トレディア/コルディア(1982〜88/87)(その1)
1982年、「これからのクルマに求められるすべての課題を満たした、世界に通用する新時代の本格的FF車」として登場した三菱トレディア/コルディア。同社の主力車種となる指命を担っていたのだが……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第11回:「日豪混血プレステージサルーン」マツダ・ロードペーサーAP(1975〜77)(後編)
ショーファードリブン用国産3ナンバーのマーケットに食いこもうと、マツダはオーストラリアのホールデンから輸入したボディに自社製ロータリーエンジンを積んだロードペーサーを開発。月販100台を狙ったのだが……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第10回:「日豪混血プレステージサルーン」マツダ・ロードペーサーAP(1975〜77)(前編)
1970年代半ば、オイルショックなどの荒波にもかかわらず、社運を賭して実用化したロータリーエンジンの可能性を信じていたマツダは、それを搭載したさまざまな車種を送り出した。日豪混血のプレステージサルーン、ロードぺーサーもそのなかの1台だった。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第9回:「うたかたの夢」グラース2600V8(1965〜68)(後編)
1960年代半ば、興隆著しいヨーロッパの自動車界で苦闘していた西ドイツ(当時)の弱小メーカー、グラース。中型車市場での不振を挽回すべく、分不相応ともいえる高級グランツリズモを発表した。それはまさに社運を賭けた意欲作だったのだが……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第8回:「うたかたの夢」グラース2600V8(1965〜68)(前編)
1960年代半ば、西ドイツ(当時)の弱小メーカーだったグラースは、「ゴッゴモビル」で戦後ヨーロッパのミニカーマーケットで一定の成功を収め、リッターカー、中型車市場へと歩を進めるのであるが……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第7回:「ピザ風お好み焼き」ダイハツ・コンパーノ(1963〜69)(後編)
ダイハツ初の本格乗用車として登場したコンパーノ!イタリアンルックのボディをまとい、日本初のメカニカル・インジェクションを備えていたのだが……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第6回:「ピザ風お好み焼き」ダイハツ・コンパーノ(1963〜69)(前編)
商用車専門メーカーだったダイハツが、初めて手がけた乗用車がコンパーノ。イタリアンルックに身を包み、さまざまなバリエーションを揃えて大衆車市場に臨んだのだが……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第5回:「ロータリー心中」NSU Ro80(1967〜77)(後編)
小型車専門メーカー「NSU」が、ミドルクラスに進出するにあたって用意した“飛び道具”「Ro80」。先進メカニズム満載のロータリーサルーンは、発表とともにセンセーションを巻き起こしたのだが……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第4回:「ロータリー心中」NSU Ro80(1967〜77)(前編)
「これっきりですカー」の4台目として取り上げられるのは、なんと!! 欧州カー・オブ・ザ・イヤーにも輝いたNSU「Ro80」。世界初のロータリーサルーンは、しかしその先進性とは裏腹に、NSUを破滅への道へといざなうのだった……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第3回:「死して名を残す」トヨペット・マスター(1955〜56)
1955年に初代クラウンと同時にデビューした「トヨペット・マスター」。自家用のクラウンに対して、営業用のマスターは、イタリア風のシンプルなデザインで、タクシーキャブとして活躍したのだが・・・。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第2回:「不幸な星の下に」いすゞ・ベレル(1962〜67)
1960年代初頭、いすゞのフラッグシップとして登場したいすゞ「いすゞ」こといすゞ・ベレル。プチ“アメ車”風のライバルが割拠するなか、ピニンファリーナ調のボディをまとい、ヨーロッパの風をふかせてさっそうと登場したのだが……。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第1回:「佳人薄命」マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ(1969〜70年)
量産化を前提とするロータリーエンジン搭載の次世代スポーツ「RX-8」が2001年のデトロイトショーで発表されたことにより、「ロータリーのマツダ」というアイデンティティはかろうじて守られた。