エッセイ
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第45回:『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)(その4)
1960年11月のトリノショーでワールドプレミアを果たしたクーペとコンバーチブル、2台のアレマーノ製プロトタイプは、翌61年に日本に上陸。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第44回:『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)(その3)
前回(その2)において、「スカイラインスポーツ」であるにもかかわらず、イタリアに送られたのが「初代グロリア」用ベアシャシーだったという記述に、疑問を持たれた方もいるのではないだろうか。その疑問に答えるためには、まずは初代スカイラインとグロリアの関係について説明する必要がある。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第43回:『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)(その2)
「スカイラインスポーツ」のプロジェクトは、1955年に欧米の自動車および航空機産業を視察旅行した、当時プリンスの取締役設計部長だった中川良一氏が、イタリアのカロッツェリアとそこでつくられるスポーツカーの美しさに感銘を受けたことに端を発したと言われている。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第42回:『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)(その1)
<設問>次の記述にあてはまる車種名を挙げよ。 1.日本で初めてイタリアン・デザインを導入したモデルは? 2.日本で初めてつくられた高級パーソナルカーは? 3.日本で初めてタコメーターや本革シートを標準装備したのは? 以上3つの質問に対する答えは、いずれも同じ車種。それが今回紹介する「プリンス・スカイラインスポーツ」なのである。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第41回:『小さな高級車』マツダ・キャロル(1962〜70)(最終回)
67年デビューのホンダN360に始まる軽のパワーウォーズからひとり取り残されてしまったキャロルだが、なぜマツダがこうした事態に陥るまで放置していたかといえば、社運を賭したロータリーエンジンとそれを搭載した上級車種の開発に忙しく、とても軽まで手が回らなかったというのが、おそらく実情だろう。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第40回:『小さな高級車』マツダ・キャロル(1962〜70)(その4)
67年3月、軽乗用車市場へは最後発となるホンダから、「N360」という素っ気ない車名を名乗るモデルが発売された。すでに前年秋の東京モーターショーでベールを脱ぎ、話題を呼んでいたこのN360こそが、それまで比較的安穏だった軽乗用車市場にブチ込まれた核弾頭だった。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第39回:『小さな高級車』マツダ・キャロル(1962〜70)(その3)
デビュー当初はモノグレードだったキャロルだが、好調なセールスを背景に次第に車種を拡大していく。 まず発売3カ月後の62年5月には、ツートーンカラーやサイドモール、ホワイトウォールタイヤなどで装った「デラックス」を追加。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第38回:『小さな高級車』マツダ・キャロル(1962〜70)(その2)
4ドアから2ドアに改められたものの、そのモノコックボディやリアに横置きされた水冷直4エンジンなど、キャロルの基本レイアウトはマツダ700から踏襲していた。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第37回:『小さな高級車』マツダ・キャロル(1962〜70)(その1)
ご存じのとおり、「マツダ・キャロル」は現在もラインナップされているカタログモデルである。 その現行車種をつかまえて「これっきり」呼ばわりするとは、失敬千万であると思われるかもしれない。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第36回:『偉大なる失敗作』ホンダ1300(1969〜1972)(最終回)
1970年に入り、クーペとオートマチックを追加したことによって販売台数が一気に上向いた「ホンダ1300」。結果的にはその勢いは半年ほどしか続かなかったが、11月には発表から約2年、発売から1年半を経たセダンにマイナーチェンジを実施した。
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第35回:『偉大なる失敗作』ホンダ1300(1969〜1972)(その4)
1969年4月に発表された生産計画では、5月に生産を開始して3カ月後の8月には月産5000台、6カ月後の11月には月産1万台へもっていく予定とされていた。
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第34回:『偉大なる失敗作』ホンダ1300(1969〜1972)(その3)
1968年秋の第15回東京モーターショーの直前に発表され、ショーのハイライトとなった「ホンダ1300」。その時点では翌69年3月に価格を公表し、同月末ごろから発売予定と告知されたが、初の本格的な量産小型車とあって予想外に手間取ったようで、最終的な生産型の仕様と価格が公表されたのは、結局、発表から半年を経た69年4月中旬のことだった。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第33回:『偉大なる失敗作』ホンダ1300(1969〜1972)(その2)
1968年10月、その年の日本の自動車界における最大の話題だった噂のホンダ大衆車は、「ホンダ1300」という素っ気ない車名を与えられて発表された。
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第32回:『偉大なる失敗作』ホンダ1300(1969〜1972)(その1)
ホンダが四輪車市場に参入したのは、いまを遡ること41年、1963年のことである。 この分野では最後発だったホンダが、本格的な四輪メーカーへ脱皮するために、まさに社運を賭して開発、68年に発表したモデルが「ホンダ1300」だった。
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第31回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(最終回)
ダイハツとしては、できることなら“欠陥車”の烙印を押されてしまったアプローズをすっぱりと切り捨て、新型車を開発したかったのかもしれない。だがこうした販売状況では、とてもじゃないが開発コストの回収など見込めず、新規開発など望めない。
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第30回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その4)
この一件がアプローズのセールスに与えた影響は甚大だった。翌90年1月の国内販売台数は500台未満と、それまでの月平均の半分を割り込んでしまい、その後も芳しくない数字が並んだ。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第29回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その3)
当初、ダイハツが掲げた月間販売目標台数は3000台。それには及ばなかったものの、本格的に販売が始まった8月から11月までは月平均1000台以上をキープしていた。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第28回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その2)
徹底的にパッケージングを追求し、優れた居住性と走行性能、そして経済性を実現したリッターカーの初代「シャレード」によって、ダイハツの小型車づくりの技術は、玄人筋には高く評価されていた。
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第27回:『あまりにも不憫な』ダイハツ・アプローズ(1989〜2000)(その1)
不適切なクレーム対応の結果、メーカーが存続の危機さえ囁かれる事態に陥ることもあることは、先刻ご承知のとおり。
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2006.9.13 エッセイ 田沼 哲
第26回:『さりげなさすぎ』マツダ・エチュード(1987〜89)(その4)
当時の日本には、マツダの考えたような都会派の“センシブル・ピープル”は1万人もいなかった、というと皮肉に聞こえるかもしれないが、事実としてエチュードが提案した「さりげない洒落っぽさ」に共感する人々は、それだけしか存在しなかったのである。
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