第104回:世界を制覇した“普通のクルマ”
トヨタを支える「カローラ」の開発思想
2021.07.07
自動車ヒストリー
日本の大衆車から世界のベストセラーへと成長を遂げた「トヨタ・カローラ」。ライバルとの販売争いを制し、累計販売台数4000万台という記録を打ち立てたその強さの秘密とは? トヨタの飛躍を支え続けた、“小さな巨人”の歴史を振り返る。
「T型」「ビートル」に続いての大記録達成
1983年はトヨタにとって意義深い年となった。1935年の「G1型トラック」から始まる自動車生産台数が、累計で4000万台を超えたのだ。同時に達成したのが、カローラの累計生産1000万台である。全生産台数の実に4分の1が、この大衆車だったことになる。トヨタにとってカローラがいかに大切な存在であるかを如実に示すデータだ。
カローラ以前に累計生産台数1000万台を達成していたモデルは、「フォルクスワーゲン・タイプI」(ビートル)と「T型フォード」のみだ。このうち、T型フォードは誕生から16年4カ月をかけて、1924年に記録を樹立した。カローラは1966年11月から1983年3月にかけて1000万台を生産しており、くしくもT型フォードと同じ16年4カ月を要している。
カローラが誕生した1966年は“マイカー元年”と呼ばれている。4月に日産から「サニー」が、11月にトヨタからカローラが発売されたからだ。この2台の競い合いが、日本のモータリゼーションを強力に推し進めていくことになる。一部の高所得者層のものだった小型乗用車が、ようやく庶民にも手の届くものになったのだ。
1955年に日本初の本格的乗用車というべき「トヨペット・クラウン」が登場したが、需要の多くはタクシーなどに占められていた。1960年代に入ると、ひとまわり小型の「ダットサン・ブルーバード」と「トヨペット・コロナ」の間で激しい販売競争が繰り広げられ、“BC戦争”と呼ばれる販売競争がぼっ発する。加えて、簡便な軽自動車の登場が自動車ユーザーの裾野を広げていった。1958年発売の「スバル360」は効率的なパッケージングで人気となり、「マツダ・キャロル」や「ホンダN360」などがそれに続いた。
トヨタは大衆向けの小型車市場を早くから重視しており、新型車の開発を進めていた。1961年にデビューした「パブリカ」がその成果である。38万9000円という期待以上の価格の安さで注目を集めたが、販売は思ったようには伸びなかった。合理的な設計を採用した意欲的なモデルであっても、ユーザーの要求からはズレていたのである。大衆車にも豪華さが欲しいと人々は感じていた。
“プラス100cc”の戦略が成功
1960年代に入ると、日本の各メーカーは小型車市場に向けて新モデルを続々と投入していった。1963年に「ダイハツ・コンパーノ」と「三菱コルト1000」が発売され、1964年には「マツダ・ファミリア」が続く。1966年になると、4月に先述の日産サニーが、翌5月に「スバル1000」が登場。エンジンの主流は1リッター4気筒で、トヨタも同様のモデルを出してくると予測されていた。しかし、9月に始まったトヨタの新型車ティーザーキャンペーンは、意外な展開をみせる。
新聞広告には、「カローラ1100」という車名が記されていた。キャッチコピーには「プラス100ccの余裕」とあり、ライバル車よりも大きなエンジンを搭載することが強調されていたのである。日産が1リッターエンジンを採用することを知り、商品性を高めるためにひとまわり大きなエンジンを開発するよう提言したのは、トヨタ自動車販売社長の神谷正太郎だった。急な設計変更で現場は混乱したが、この英断がカローラの船出に力を与える。発売月に5835台という登録数を記録し、好調だったサニーの3355台をはるかに上回ったのだ。
カローラの発売に先立ち、トヨタは周到な準備を進めていた。専用の生産基地として高岡工場を建設し、月産2万台の体制を整えていたのだ。記者発表会で掲げられた月販3万台という目標には首をかしげる向きが多かったが、工場の規模はさらに拡大され、発売2年後には実際に月販3万台を達成している。モータリゼーションの進展のなかで、カローラは爆発的な売れ行きを示した。
人々がカローラを支持したのは、プラス100ccのエンジン以外にも理由がある。大衆車であっても、当時の先進的な技術が惜しみなく注ぎ込まれていたのだ。例えばフロントのサスペンションには、マクファーソンストラット式の独立懸架が採用されている。軽量で自由度の高いこのサスペンション形式をいち早く実用化したのだ。後にこの形式は小型車のスタンダードとなっており、開発陣の先見性が証明されている。
また、4段フロアシフトというトランスミッションも珍しかった。当時は、セダンは3段コラムシフトというのが常識であり、フロアシフトはトラック用だと考えられていたのだ。社内でも反対の声が多かったが、発売してみると変速のしやすさやスポーティーな操作感が高い評価を受け、他メーカーも続々と追随するようになった。
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主査制度が支えた前人未到の記録
カローラの開発を取り仕切ったのは、パブリカも手がけた長谷川龍雄である。彼が掲げたのが、“80点プラスα主義”だった。“80点主義”と省略するのは間違いで、大切なのは“プラスα”の部分だ。パブリカは経済性や合理性では合格点をとったが、豪華さや快適性では80点に達しなかった。その反省に立ち、どの部分も落第点ではいけないということを示したのが80点主義である。ただ、すべてが80点では魅力的なクルマにはならない。プラスαの部分がなければ大衆の心をとらえることはできないと、長谷川は考えたのだ。
長谷川は主査という立場でカローラの開発の全責任を負った。彼自身がこの主査制度の提案者である。戦争中に立川飛行機で戦闘機の開発を担当した際、ひとりで設計の概略を決定した体験から、自動車開発でも主導する人物があらゆるプロセスを集中的にコントロールする必要があると考えたのだ。長谷川の提案が採用され、クラウンでは中村健也が主査となり、長谷川は“主査付き”として調整役を務めた。この時の成功から、主査制度はトヨタの新モデル開発を支える根幹のシステムとなる。長谷川の後を継いで2代目の主査となったのは、もともと主査付きだった佐々木紫郎である。これ以降、主査付きが次代モデルの主査となるサイクルが慣例となっていく。
佐々木は主査として3代目の開発も担当し、このモデルがカローラにとっての転換点となった。発売は1974年で、前年に石油ショックが発生している。公害問題も深刻化し、排ガス規制が急激に強化されていた。アメリカではラルフ・ネーダーが自動車の安全性に疑問を呈して話題となり、日本でも自動車に対する逆風が吹き荒れた。
佐々木が考えたのは、大衆車の決定版をつくることだった。燃費を向上させて排ガス規制にも対応し、安全問題もクリアする。高級感を持たせてオーナーの満足度も高め、「このクルマがあればほかのクルマはいらない」と思わせるモデルに仕立てることを目指した。「3代目はその後の発展を左右する存在になる」という考えから、彼はその成功例である徳川三代将軍家光について、徹底的に調べたという。困難な条件のなかであったが、このモデルは歴代のカローラで最多販売台数を記録する。累計で375万5030台を売り上げ、月平均の販売は6万3645台に達した。
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海外でも生産されるグローバルカー
カローラがコロナに代わって国内乗用車販売台数で第1位となったのは、1969年のことだ。当時はライバルの日産サニーと競り合っていたが、一度も首位の座を明け渡すことはなかった。最初は2ドアセダンだけでスタートし、4ドアセダン、バンなどにラインナップを広げていく。スポーツモデルの「レビン」、2ボックスの「FX」、4ドアハードトップの「セレス」、ミニバン仕様の「スパシオ」など、派生車種も多く登場した。
カローラはグローバルに展開する戦略モデルでもある。1968年の北米輸出開始を皮切りに、現在では世界150以上の国と地域で販売され、海外生産拠点も13カ所に及ぶ。地域の事情に合わせ、それぞれに仕様の異なったモデルが販売されているのだ。トヨタがグローバル企業に発展する原動力となったのがカローラだった。
2013年7月、カローラの累計販売台数は4000万台に達した。すでに1997年にはビートルを抜いて1位となっており、単一名称のクルマの販売台数としては、前人未到の記録である。ただ、現在の国内販売台数のトップはカローラではない。1999年にコンパクトカーの「ヴィッツ」が発売されると、月によってはカローラを上回る販売台数を示すようになった。それでも僅差ながら年間1位の座を死守していたが、2002年にヴィッツの対抗モデルである「ホンダ・フィット」に首位を明け渡してしまう。33年ぶりの首位交代は、新聞やテレビでも大きく取り上げられた。
もっと強力なライバルとなったのは、トヨタ自身が生んだハイブリッドカーだった。エコ意識の高まりで「プリウス」の人気が急上昇。2014年の年間販売台数はプリウスより小型のハイブリッドカー「アクア」が1位となった。それでもカローラは国内で年間10万台の販売を維持し、2020年の車名別新車販売台数では3位。2018年のフルモデルチェンジで日本仕様も3ナンバーとなったが、細かいチューニングを施した専用ボディーで使い勝手を向上させた結果だった。
4000万台達成にあたり、トヨタが発表したプレスリリースにはこう書かれていた。
「常に時代をリードし、お客さまや社会のニーズを先取りし、改善を続けながら技術力や品質の向上に努めてきたカローラ開発の歴史は、現在、トヨタが経営の中心に据える『もっといいクルマづくり』の礎である」
カローラの開発思想は、今もすべてのトヨタ車を支える基盤であり続けている。
(文=webCG/イラスト=日野浦剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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