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クルマで登山

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  • 2005.11.30 エッセイ 矢貫 隆

    第78回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その7)(矢貫隆)

    ■レモン果汁に匹敵する酸性の土壌グラススキーのゲレンデを想わせる松木村跡の林のなかに、直径10cmほどの若い桜の木が立っている。見覚えのある木はそれだけであり、生えている木の種類は少ないように見えた。10数年前、この地を調査した谷山鉄郎(三重大学生物資源学部教授)が、彼の著書『恐るべき酸性雨』のなかで松木村跡の植生について次のように書いている。「重金属による土壌汚…

  • 2005.11.28 エッセイ 矢貫 隆

    第77回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その6)(矢貫隆)

    ■100年後も、荒れ地のまま道すがらの光景は、治山事業の一環としての山肌の修復風景であり松木沢へと流れ込む谷筋を覆う落石群であり、あるいは、わずか100年のうちに完全に表面の土を失って岩肌を露にした山容であり、堆積場に山と積まれた真っ黒なカラミであった。カラミとは、銅の精錬過程ででる残りかすのことで、細かく磨り潰した石炭のかすをエジプトのピラミッドほども積み上げて…

  • 2005.11.26 エッセイ 矢貫 隆

    第76回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その5)(矢貫隆)

    ■僕たちへの警告1反は300坪で約992平方m。その10倍が1町歩で99.2アール。100アールが1ヘクタールだから、一町歩は、ほぼ1ヘクタールと考えていい。つまり松木村の20町歩の農地とは、たとえるなら東京ドームのグラウンドと客席を合わせた面積の4倍以上の広さに相当する。これだけの面積の農地が全滅したのだ。生きていく術を失った松木の住人たちが、住み慣れた村を捨てなければならなか…

  • 2005.11.24 エッセイ 矢貫 隆

    第75回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その4)(矢貫隆)

    ■「灰色の煙が空を覆わなかった日はない」銅の生産高が4000トンに達した2年後、それまで2カ所に分かれていた精錬所が、現在の足尾ダムの1kmほど下流の本山に統合(=足尾精錬所)されるのだが、それは結果として、松木村に決定的な被害を与えることとなった。銅鉱石を精錬する過程ででる硫酸銅溶液は排水として渡良瀬川に流された。「それが下流域で鉱毒事件を引き起こしたわけですね」…

  • 2005.11.22 エッセイ 矢貫 隆

    第74回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その3)(矢貫隆)

    ■繰り返された土砂災害河原に下りてみた。松木沢は、さすがに渡良瀬川の最上流だけあって水は見事に澄んでいて、裸足で入るには思い切りが必要なくらい冷たい。「川幅が狭いわりには河原の幅が広すぎやしませんか?」A君、体力がなくてもさすがにインテリだけのことはある。指摘が鋭い。足尾ダムが造られる以前のここは、もっと切れ込みの鋭いV字型の谷だったはずである。ところが今は違…

  • 2005.11.19 エッセイ 矢貫 隆

    第73回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その2)(矢貫隆)

    ■「日本のグランドキャニオン」その昔、足尾郷松木村は養蚕が盛んな緑豊な里だった。「古くは戦国時代の頃から松木の里に住みついた人々は、この地で畑をたがやして麦や大豆、ひえ、大根、芋などを作ったり養蚕にも精をだして谷あいの静かな土地で穏やかに暮らしていました」足尾ダム河口にある銅親水公園の資料は、面影すら残っていないかつての松木村についてこう説明するが、しかし今…

  • 2005.11.17 エッセイ 矢貫 隆

    第72回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その1)(矢貫隆)

    平和でのどかな戦場ヶ原でのハイキングを終え、「クルマで登山」取材班が向かったのは栃木県足尾町。そう、日本で最初の公害とされる足尾鉱毒事件の舞台となった場所だ。そこには、100年前の傷跡が今なお生々しく残っていた。■日本の公害の原点日光周辺の地図を拡げてみると、中禅寺湖の真南に当たる山中から南に向かって1本の小さな川が流れでているのがわかる。久蔵沢である。地図上の…

  • 2005.11.12 エッセイ 矢貫 隆

    第71回:花粉症はナゼ発症するのか〜答えは日光に〜(その8)(矢貫隆)

    ■お手軽だけど中身あるハイキング湯ノ湖から流れだす湯川は戦場ヶ原の真んなかをとおり(正確には戦場ヶ原と小田代原のあいだ)中禅寺湖に注いで華厳の滝にいたるのだけれど、この湯川、湿原のなかで見る風景は何とも幻想的である。いや、原始的な風景と言ってもいいのかもしれない。とにかくこの空間は、曲がりくねった湯川の流れと同じようにゆっくりとした時間が流れているように感じ…

  • 2005.10.31 エッセイ 矢貫 隆

    第70回:花粉症はナゼ発症するのか〜答えは日光に〜(その7)(矢貫隆)

    ■湿原としての戦場ヶ原赤沼バス停近くのパーキングに「ハリアーハイブリッド」を停め、戦場ヶ原の入口に足を踏み入れたのは12時頃だった。いきなりミズナラの林が続いていた。取材に訪れた6月下旬は観光シーズンとあって、大勢のハイカーたちの姿が見える。勾配変化のない湿原ハイキングとはいえ、ほとんどの人が最低限の装備、つまりスニーカー履きにザックを背負い、そして雨具を持っ…

  • 2005.10.28 エッセイ 矢貫 隆

    第69回:花粉症はナゼ発症するのか〜答えは日光に〜(その6)(矢貫隆)

    ■森と湿原に囲まれた戦場ヶ原中禅寺湖や華厳の滝、あるいは戦場ヶ原がある奥日光の歴史は、およそ1200年前の奈良時代、下野の国の僧、勝道上人が日光山の開山を志して入山したところから始まっている。以来、この地は信仰の山として守られてきて、1934年(昭和9年)には日光国立公園に指定された。ちなみに、勝道上人というのは山岳信仰の社寺として現在の輪王寺を建立し日光山繁栄の源…

  • 2005.9.23 エッセイ 矢貫 隆

    第68回:花粉症はナゼ発症するのか〜答えは日光に〜(その5)(矢貫隆)

    ■ディーゼル排気微粒子と花粉症の関係たとえばアレルギーに関する動物実験を行う際、抗原にある種の物質を加えると反応を示す抗体が作られやすいとの結果がでたとする。すると、加えたある種の物質には、抗体を作りやすくする作用、つまり「アジュバント作用」があったとわかるわけである。活性炭もそのひとつで、だから小泉先生らは、ディーゼル車から吐きだされる、炭素を主成分とする…

  • 2005.9.21 エッセイ 矢貫 隆

    第67回:花粉症はナゼ発症するのか〜答えは日光に〜(その4)(矢貫隆)

    ■花粉アレルギーの出現頻度に地域差日光市内にある「小泉内科クリニック」を訪ねたことがある。「前回で登場した、例の小泉院長ですね」アレルギー専門医として知られる彼は、東大の内科医局員時代に派遣医師として日光市に赴いて以来、ずっと日光市に留まって医療活動を続けている。スギ花粉症アレルギーの調査に携わっているうちに30年が経ってしまったのだと言って彼は笑った。小泉医…

  • 2005.9.2 エッセイ 矢貫 隆

    第66回:花粉症はナゼ発症するのか〜答えは日光に〜(その3)(矢貫隆)

    ■発症のメカニズムスギ花粉症の症状はどうして起こるのか。そのメカニズムを、「僕の、ある日の症状がでるまで」で説明しよう。スギ花粉(=抗原)が体内に吸入されると、その情報はリンパ球や細胞へと伝わり免疫グロブリンE(=IgE抗体)が生産される。一般に“抗体”は体内に侵入した異物を排除する免疫として知られるが、この場合のIgE抗体は、免疫としてと言うより、むしろ“抗原に…

  • 2005.8.30 エッセイ 矢貫 隆

    第65回:花粉症はナゼ発症するのか〜答えは日光に〜(その2)(矢貫隆)

    ■スギ花粉症の増加原因時期はずれの話題だが、実は僕はスギ花粉症持ちである。10年近く前の春のある日、何の前触れもなく花粉症の症状がでたのが始まりだった。「いきなり花粉症の話なんて始めて、どうしたんですか?」実はな、A君。僕は日光にくると花粉症を思いだしてしまうんだ。「何故!?」スギ花粉症が日本で最初に報告されたのが日光市でのことだったからだよ。「最初と言えば、紀…

  • 2005.8.27 エッセイ 矢貫 隆

    第64回:花粉症はナゼ発症するのか〜答えは日光に〜(その1)(矢貫隆)

    ■問題意識をもって、ハイキング「まったく近ごろの若い連中は……」というのは年寄りの常套句で、だからその言葉を口にするようになったら、それはもう自分がジジイになった証拠だ。俺はすっかりジジイになっちまった。まったく近ごろの若いやつはだらしないよ。A君、きみのことだ。「面目ない。何しろ仕事が忙しかったし、プライベートな問題もいろいろあって、しかも病気もしまして……

  • 2005.4.24 エッセイ 矢貫 隆

    第63回:枯れゆくブナの山、檜洞丸(その12)(矢貫隆)

    ■物流システムの大胆な転換神奈川県が出した『丹沢大山自然環境総合調査報告書』は、被害が出ている南東斜面では常に北東斜面よりもpH値の低い霧が出ていたとして、それが檜洞丸南東斜面のブナに影響を与えた可能性を否定していない。けれど、それよりも同報告書が強い調子で可能性、つまり、ブナの枯死の原因を指摘するのは、オゾンによる影響だった。オゾンはきわめて強力な酸化作用を…

  • 2005.4.22 エッセイ 矢貫 隆

    第62回:枯れゆくブナの山、檜洞丸(その11)(矢貫隆)

    ■酸性「雨」ではなく「霧」神奈川大学工学部応用科学の井川学教授らが、「酸性霧と大山のモミの枯死の関係」について調査していると古い新聞記事を読んだことがある。そこで『環境科学誌』を取り寄せてみると、井川教授は次のように書いていた。「私たちは、酸性霧の研究を続けていく中で、酸性霧が(注:モミの立ち枯れに)大きな影響を与えているのではないかと予想し、実際にモミへの…

  • 2005.4.20 エッセイ 矢貫 隆

    第61回:枯れゆくブナの山、檜洞丸(その10)(矢貫隆)

    ■矛盾のわけやあ……。「やあ、じゃないですよ。ぜんぜん更新しないで、どうしてたんですか!?」ごめん。「ごめんじゃなくて、どうしてたんです!?」いや、ちょっと。「だから理由を聞いてるんですよ」……「言えないんですか」……「わかりました。いいです。ま、男にはそれなりのわけがあるわけですし」しばらく会わないうちに大人みたいなこと言うようになったな、A君。彼女でもできた…

  • 2005.1.29 エッセイ 矢貫 隆

    第60回:枯れゆくブナの山、檜洞丸(その9)(矢貫隆)

    ■自動車が酸性雨を降らせている硫黄酸化物の排出量がピークに達したのは1970年代の中頃だった。日本の各地で公害が問題になった時代である。この頃の出来事について、人々の記憶に残るのは「交通戦争」という言葉であり「モータリゼーション」という言葉なのだろうと思う。だが公害もまた、この時代に顕在化してきた出来事だった。「高度成長」の名のもとに見過ごしにされてきた大気汚染…

  • 2005.1.27 エッセイ 矢貫 隆

    第59回:枯れゆくブナの山、檜洞丸(その8)(矢貫隆)

    ■日本にも強い酸性雨は降っている酸性雨は、確かに檜洞丸を含む丹沢山塊に降り注いでいる。丹沢にだけではない。酸性雨は、今や日本中のあらゆる場所で降っているのだよ、A君。「酸性雨って、何をもって酸性雨と言うんですか?」もっともな質問だ。実は僕も最初はよくわかっておらず、だから勉強した。蒸留水は中性でpH7。けれども大気中には水に溶けると酸性を示す二酸化炭素が含まれて…

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